●六時過ぎ。もう暗い。暗いところに白い色がぼやっと浮かんでいる。目の前を犬が歩いている。飼い主に連れられて。見えているのは後ろ姿。白い犬。痩せている。うなだれている。頭を下げ、尻尾を垂らしているだけでなく、全体のフォルムがうなだれた感じ。かなり大きい犬だが、動きがせかせかして小刻みだ。歩幅も狭く、四本の足をせかせかと動かす割には、あまりはやくは進まない。小刻みな息づかい。暗いところにぼやっと浮かぶ白いふらふらしたものに目が惹き付けられ、それを、そこだけをじっと見てしまう。目が離せなくなる。白いぼやっとしたものは、暗い壁に映った水の反映みたいにゆらゆらして実在感がないが、そのせかせかした動きや息づかいのリズムの一定さによって、そこに犬がいることのリアリティが支えられているようだ。せかせかした動きだけが、物質としての重さを感じさせる。呼吸している。呼吸のリズムとからだを動かすリズムとが同期している。いや、ハアハアと息をする音が聞こえているわけではないから(聞こえていると思い込んでいたが)、せかせかしたその動きによって「呼吸」を感じているのだった。そのせかせかしたリズムがなければ、ぼく自身が、今、ここにいてそれを「見ている」ということの現実感さえも怪しくなりそうだ。飼い主のことはまったく目に入らなくなる。犬のケツをずっと見ている。痩せている。うなだれている。貧相だ。白い。ぼやっとしている。ヤバい凝視モードに入りかけている、と思うものの、なかなか目を外すことができない。犬と飼い主に、不審なくらい近付きすぎていないだろうか。暗いなかの白い犬のケツ。せかせかと足を動かし、からだをゆらす。それを見ている。犬と飼い主は曲がり角を左へ曲がる。ぼくはそのまま、まっすぐ進む。
●あまりにすばらしかったので、今日も『残菊物語』をはじめからもう一度観た。そぞっと鳥肌がたつ。