●京都へ。今までは新幹線は東京駅からの乗車だったけど、今回は小田原駅から。地元の駅から東海道線の下り方向に乗るのはいつ以来だろうか。たぷん、二十年くらいは乗っていない。大磯、二宮くらいではまだ線路は海から離れたところをはしっているけど、二宮を出たあたりから雰囲気が「海に向かっている」感じになって、国府津の手前で窓から海がみえはじめ、国府津駅ではホームから海がすぐそこにみえる。快晴というわけではなく、全体に薄い雲がかかって空が鈍い色で均質に光っているけど、この光の感じは、夏の、海の近くの感じだ。
海が見えることそのものよりも、電車が「海に向かっている感じ」(光や空気の感じの他に、地形や建物の配列の感じもある)に、なにか呼び覚まされるものがあった。この感じがからだのなかに埋め込まれていることを、八王子に住んでいた時期にはほぼ忘れていた。
●いつ以来だろうかと考えて思い浮かぶのは、予備校の友人たち四人くらいと電車に乗っているイメージだ。だとするとそれは八十年代の終わりくらいで、八十七年か八年のことだ。何の目的でどこに向かっていたのかを思い出すことはできない。そのころの東海道線はまだ四人掛けのボックス席が主で、窓際の壁に灰皿が設置されていて、電車のなかで普通にタバコが吸えた。伊藤くんがタバコを吸っていて、窓をあけなさいよと近くにいたおばちゃんから怒られたのを覚えている。なんだよあのババアと、しばらくぶつぶつ言っていた。伊藤くんは半袖のポロシャツを着ていたし、からだにのこっている感覚からしても、あれも夏のことだったと思う。
●小田原から名古屋行きのこだまに乗って、静岡でひかりに乗り換えて京都まで。約二時間四十分。乗り換えがなければ二時間くらい。(お金があれば、)京都は別に遠くない。
●今書いている小説は三十枚弱くらいまで進んだのだが、その先、どのような方向に行くのがいいのかちょっと迷っている(とはいえ、一行ごとに常に迷っている感じなのだが)。静岡までのこだまでは通路側の席だったけど、その先のひかりは窓側の席で、窓の外をぼんやり眺めていて、小説の終点となるべきであろう場所をふと思いついた。おそらく、今まで書いてきたことはそこへ向かうべきなのだろうし、そこをとりあえずの終点とするのが適当なのだろう、と。ただ、今、書けているところから、終点となるべき場所まで、どうつながっているのかはまだぜんぜん分からない。
●打ち合わせの相手に川床のある先斗町の料理屋に連れていってもらったのだが、ちょうど着いたところで雨が降ってきた。ぼくたちは屋根のあるところに引っ込み、店の人総出で食卓がしまわれ、ゴザがくるくると丸められる。これはこれで面白い。
●夜、打ち合わせが終わって、八坂神社の境内から円山公園の方へ抜けて少し歩く。円山公園はあまりに真っ暗だったのでわりとすぐに引き返して八坂神社にもどった。広い空間にぽつりぽつりと提灯の照明があっていい感じに暗くて、中央の御輿が収納してされている建物のところだけたくさんの提灯で明るい。その明るさも鮮やかだけどぼわっとかすんだ感じでもある。すぐ外が祇園の喧噪なのに静かでセミの声が多少の抑揚の変化をつけながらもほぼ一定に聞こえつづけている。人が、「まったくいないわけではない」というくらいの感じでまばらに散っている。ちょうどいい暗さと闇の濃淡の分布、暗さのなかに人の気配がとけ込んだり浮かび上がったりする感じ、暗さと湿気とセミの声と人の気配が混じりあうのだけど混じりされなくてまだらに漂っている。その感じに和んでしまって長く境内にいた。
その後、祇園の周辺をぶらぶら歩く。なるべく、道が細くなって怪しい感じのする方に向かって。表通り以外は繁華街なのにわりと暗くて、この暗さがいい感じ。確か、大江健三郎の小説に、京都の暗さからメキシコを連想するという場面があった、ということを歩いていて思い出した。というか、あの場面は「ここ」なんじゃないかと思った場所があった。何の根拠もないし、その部分を正確に思い出せもしないのだが。
●夜の八坂神社




祇園