●「人間は考えヌ頭部である(からだは戦場だよ2018)」(小鷹研究室)のための予習。
http://lab.kenrikodaka.com/event/2018_KSJ/index.html
●その一。
https://twitter.com/kenrikodaka/status/955405064486641665
《(…)「セルフ・アンブレリング(重力反転計画α)」というHMD装置について。映像の通り、寝ている自分(身体的自己)が傘を開くことで、それを上方から見下ろしている自分(視点的自己)が上に吹き上げられていきます。》
《この装置は、副題の通り、主に認知科学的な関心(重力の知覚変調)から発想されたものです。(同時並行的に進めている)心理実験によれば、どうやら、仰向け状態というのは、知覚される重力の方向性において強力な不定性がつきまとっているらしい。》
《つまり、寝ている状態の自分の背後に、無意識に、うつ伏せの(自分)が潜んでいる、というわけです。そして、その(自分)が、寝ている時に空を飛んだり、稀に体外離脱したりするのではないか、という仮説について、僕は真剣に考えている。》
これは映画『恐怖』(高橋洋)での「片平なぎさ体験」ができるということか。
●その二。
https://twitter.com/kenrikodaka/status/955945373930962944
《(…) エルボリスト(Elbow+Wrist)は、(比喩的な意味において)エイリアンの跋扈する背面を、身体認知にとって馴染みのある空間として如何に再編成していくかという問題を扱っています。》
《全てがスキャニングされた世界では、データとしての背面像にいつでもアクセスすることができるようになるはずです。そうした、遠くない未来の拡張世界の中で、進化の時間スケールに頼らず、神経系の適応プロセスの上での背面像とのつきあい方を考えることは、実に「実際的」な課題であると言えます。》
《(…) 人間は、古来より、elbowristに頼るまでもなく、鏡を使って背面を見るということを経験してきていますが、このとき、鏡を見ている人の視線は、どちらを向いているのだろうか。》
《僕の考えでは、鏡像を見る視点は、その起点において、背面へと向かわずに鏡を向いている。すなわち、文字通り<鏡を見ている>。言い換えれば、視線を構成している<抽象頭部>の向きは、前の風景を観ている時と、鏡を通して背面を観ている時とで変わらない。何も変わらない。》
《一方で、エルボリストの背面像は、頭部に位置するカメラのレンズが直接背面を向いていると想定される際に得られる像と一致している。この像を「見る」 ことができるようになるためには、背面を直接見ている180度反転した<抽象頭部>の身体像を内面化しなくてはならない。》
《エルボリストに適応した僕や、室田さんの主観世界では、まさに、そのような、「背面を直接見る」としか言いようのない事態が生じている。「視線が直接に後ろに走っている」ということが体感されている。僕は、この事態を、「抽象頭部の反転」と呼びたいと思っている。》
これはちょっと難しそう。対応できるだろうか。
●その三。
https://twitter.com/kenrikodaka/status/956361591464771584
《予告第三弾は『elastic arm illusion』です。小鷹研の連作「腕が伸びる」シリーズの新作です。仰向けでいる人の腕を、ポールを介して引っ張り上げます。この<引っ張られた度合い>に応じて、HMD上に一人称視点で表示される腕の長さが伸び縮みする、というものです。》
《この連作の着想の面白さは、<引っ張られた度合い>が自重の変化を通して間接的に計測される、という点にあります。腕に発生する筋肉負荷の推定に、足元の体重計の値(の変化)を使っているわけです。だから体験者は何も装着する必要がない。体重計に乗るだけ。乗ってるということさえも意識されない。》
《今回の『elastic arm illusion』は、「自重変化 - 筋肉負荷変換」の基本原理に根ざしている点では、過去の連作と同様です。過去との決定的な違いは、伸ばす腕を片腕にしたことにあります(寝る姿勢で、無理なくそうしたやりとりが可能となった)(…)》
《(…) なぜ片腕にするとよく伸びるようになるのか。(…)端的に(物理的に)「片腕の方がよく伸びる」から、ということに尽きるのです。》
《誇張されたイメージを受け入れ易くするためには、物理空間とメディア空間の間に、トリッキーな因果的関係を埋め込むことが重要です。でも、そもそも物理空間がメディア空間により近いところにあれば、それが一番手っ取り早い。(…)》