2019-04-18

●最近、sora tob sakanaフィロソフィーのダンスがとても好きで、この良さはアイドルだからこそ成り立っているものだと思うのだけど---アイドルでなければ、懐古趣味やマニエリスムになってしまっているかもしれない感じもある---ただ、オサカナやフィロのスの良さはいわゆるアイドルの良さや面白さというのともちょっと違っていて、そこが面白いのではないかとも思う。同じことの繰り返しになるが、その良さがアイドルだからこそ成り立っているにもかかわらず、そこにアイドルの面白さとはちょっと違った別の面白さがたちあがっているというところが面白いと思う。

(この感じを「楽曲派」と言ってくくってしまうと、それはまた違うことになると思う。)

たとえば、フィロのスがたんなる「懐かしサウンドの再現」とは違ってみえるのは、彼女たちがアイドルだからであろう。四人のボーカルやキャラがいい感じで統一感がなくばらつきがあって、その個別性が前に出てくるからで---つまり、キャラが音楽に奉仕しているのではなく、音楽からある程度自律してあるからで---そしてそのばらつきやキャラ立ちを許容しているのが「音楽性」とは別にある基準としての「アイドルという枠組み」なのだと思われる。彼女たちは(プロデューサーの意向に沿って)ある度合いの従順さで、ある種の傾向の音楽を「やらされて」いるのだが、しかしこの場合、音楽の方が主軸にあるというわけでもなく、音楽もまた、彼女たちのキャラを立てるためにこそ「選択され」「使われて」いるとも言える。アイドルが音楽のために使われているのでもなく(のでもあり)、音楽がアイドルのために使われているのでもなく(のでもあり)、ここには、どちらが主体とも言えない、相互に自律的で、かつ相互に抑制的な(相互作用的でもある)、不思議なバランスが成立していて、それによって独自の化学反応が起きているように思われる。

190103 sora tob sakana

https://www.youtube.com/watch?v=GCS7KS-r5nY

フィロソフィーのダンス/ライブ・ライフ、ライブ・アット・品川ステラボール

https://www.youtube.com/watch?v=_bhh6_seUnA

フィロソフィーのダンス/アイドルフィロソフィー(ライブ・アット・リキッドルーム 2018/6/16)

https://www.youtube.com/watch?v=lhLfSm6cAOk

●あと、オサカナやフィロのスとはまったく違った意味で、CY8ERがとても面白いと思う。アイドルの良さの大きな部分を占めるものに、(1)やらされている感と、(2)ドキュメンタリー性があるとすれば、CY8ERはその逆で、セルフプロデュースによる、(1)自分たちの考える独特で虚構的なアイドル像の、(2)人工的な作り込みの徹底性にあるように思われる。というか、「やらされている感」を人工性、虚構性と考えれば、アイドルとはそもそも、ドキュメンタリー性と虚構性とのバランスというか、アンバランスな配合の具合が面白いと言えるのかもしれない。だとすればCY8ERはその極北というか、一方の極(自分自身による、自分自身のイメージの虚構的作り込み)を徹底してやっているということなのではないか。そしてその作り込みのクオリティがとても高いということではないか。

CY8ER - デッドボーイ、デッドガール (Official Music Video)

https://www.youtube.com/watch?v=71z2gjTavnE

CY8ER - タイムトリップ (Official Live Video) [2018.8.2 新木場COAST]

https://www.youtube.com/watch?v=YhobBIEo1wI