2019-08-27

●引用、メモ。久保明教『ブルーノ・ラトゥールの取説』、第一章テクノロジーとは何か、より。

●アクターであると同時にネットワークでもある 

《差異を生みだすことによって他の事物の状態に変化を与えうるものはすべてアクターであり、それらは相互に独立したものではない。各アクターの形態や性質は他のアクターとの関係の効果として生みだされる。アクターの働きによって異種混交的なネットワークが生みだされ、アクターはネットワークの働きによって定義され、変化させられる。このため、「アクターネットワーク」とは、アクターであると同時にネットワークでもある。したがって、円形の項とそれをつなぐ線分で描かれるような一般的なネットワークモデルではアクターネットワークは捉えられない。円が線に、線が円になる。原理的に不安定な動態の内部に自らの視点を位置づけることを、アクターネットワークという概念は要求する。》

《「翻訳」とは、あるアクターを起点にして種々のアクターが結びつけられ共に変化していく過程である。この過程を省略した表現として、前者が後者を「翻訳」するとも言われる。》

●アクターネットワークとは、外側から世界を分析するためのモデルではない

(…)「社会」とはもはや人間を中心とする通常の意味での社会関係ではない。それは、「アクターネットワーク」と呼ばれる異種混交的なアソシエーションそのものであり、既存の用法において別種の領域とされてきた「社会」も「テクノロジー」もそこから生じるものに他ならない。》

(…)研究者もまたそのような世界の内側を生きている。だからこそ、研究者にできることは---自らもアクターとしてそこに連なりながら---アソシエーションを組み替えていこうとするアクターの動きを追い、そこから学ぶことしかない。》

《アクターを追うことは、ネットワークに連なることに他ならない。したがって、アクターネットワークとは、外側から世界を分析するためのモデルではない。研究者もまた世界(アクターネットワーク)に内在しており、ネットワークの動態は所与のルールや構造によって規定されない。》

(…)私たちは、異種混交的なアソシエーションの外部にいるわけではない。だからANT(アクターネットワークセオリー)は科学技術をアクターネットワークとして捉えることでその新たな制御方法を提案する方法論ではない》。

(…)銃を用いた行為を規定するのは銃と人間が結びついて生み出される第三のエージェントである。》

《私たちは、銃の使用に関して外在的な位置を保つことはできない。人間は「人間+銃+…」の一部であり、アクターネットワークに内在している。ラトゥールの用語を離れて言えば、私たちはテクノロジーへと生成している。ただし、ここでいう「生成」(Becoming)とは、そのものと同一になることを意味するわけではない。市民は銃になるわけではなく、「市民+銃+」になる。》

《市民と銃は互いに異質な存在である。銃は市民のように討議によって合意を形成したりしないし、市民は銃のように引き金を引かれても発砲しない。市民と銃という互いに異質な存在が結びつくことによって他の様々なアクターを巻き込むことが可能になり、それによって両者は大きく変容していく。異質な二者の結びつき(ハイブリッド)よりも、それが起点となって他の様々なアクターが巻き込まれること(翻訳)が重要である。「市民+銃」は害獣を射殺する猟師になるかもしれないし、徴兵されて異国の戦場に赴くかもしれないし、銃規制運動のリーダーになるかもしれない。》

●非還元の原理

《いかなるものも、それ自体において、何か他のものに還元可能であることも還元不可能であることもない。》

(…)哲学的な概念構築に基づく「非還元」論考は、この世界がいかなるものであるかを関係論的に捉え直す存在論的水準に踏み込んでいる。》

《科学的な知識や技術の自律性を重視する人々は、社会構成主義を、理性的思考によって自然の事実を探求する科学者の営為を社会集団間の力学に還元するものだとして批判する。一方の社会学者は、自律敵発想を、集合的で社会的な理性の働きによって保証されるべき知識の妥当性を理性と自然の純粋な結合の力に還元するものだとして批判する。両者はいずれも、自らが依拠する「自然」や「社会」への還元を理性的なものとみなし、もう一方への還元を暴力的なものとみなしている。》

《非還元の原理は、こうした相互排他的対立を解除するために導入されている。知識や技術の妥当性は所与の「自然」や「社会」に還元できない。それらを支える諸要素は互いに結びついており、諸要素がおりなす関係の動態を通じて、知識や社会を還元できるような「自然」や「社会」のあり方が暫定的に生みだされる(=「還元不能であるわけでもない」)。》

《非還元主義は(…)、理性と力の二項対立を関係の一元性に置き換える発想である。》

ANTは、「技術」や「自然」や「社会」を確固たる実体として見なすことをやめ、原理的に還元不可能な諸要素の原理的に制限のない結びつき(=アクターネットワーク)から出発することで、「まだ残されているあらゆるもの」に目を向けるための方法論である。》

●仲介項と媒介項

ANTは非人間を一人前のアクターとして扱う。その理解は間違いではないが、人間も非人間も仲介項としてではなく媒介項として扱われることがより重要である。》

《市民(人間)と銃(非人間)という二つのエージェントが結びつく時、両者が合成されて新たなエージェント「市民+銃」が現れる。この第三のエージェントの働きが、第一のエージェント(市民)に内在する意図(目的①)に完全に従うと考えると、「善良な市民は銃を持っていても発砲などしない」という道具説(社会構成主義)的な説明になる。一方、銃という第二のエージェントに内在する殺傷という機能(目的②)に完全に従うと考えると、「善良な市民でも銃を持てば殺人を犯しかねない」という自律説(技術決定論)的な説明になる。(…)それらは、入力に対して一義的に出力を返す仲介項(Intermediary)として把握されている。》

《だが、より一般的には第三の可能性が実現される。二つのエージェントが互いに互いの行為を変容させる媒介項(Mediation)として働くとき、それぞれが元々持っていた目的が変化する。媒介項への入力に対する出力は前もって規定できず、媒介項との関わり自らを予想できない仕方で変容させるのである。たとえば、相手を殺すつもりで銃を手にした人(エージェント①)であっても、手にした銃(エージェント②)の重さに我にかえって、殺人をやめるかもしれないし、銃で脅して相手を屈服させようとするかもしれないし、銃で人を殺そうとした自分に嫌気がさして自殺してしまうかもしれない。こうして、あらかじめ想定される目的とは異なった新しい目的(③=殺人の中止、脅迫、自殺など)が生みだされる。》

(…)「媒介」という概念は、科学者や技術者の受け売り以上のことに取り組むことを要請する。彼らが一般向けに語ってくれるのは、仲介項としての知識や技術の有様でしかないからである。》

●媒介項のブラックボックス化、内在と外在

《ただし、「媒介」や「翻訳」といった概念は、還元主義的発想を単に批判するためにではなく、非還元主義によって還元主義を包摂するために導入されている。一般的な仲介項の働きが例外的な媒介項の働きによって相対化されるのではなく、むしろ、一般的な媒介項の働きによって例外的な仲介項の現れが説明されるのである。》

(…)定義されるアクターネットワークは原理的に不安定なものである。だが、各アクターの行為を通じてネットワークが相対的に安定し、一定の持続性を持つようになると、アクターネットワークは暫定的にではあれ確固たる世界の有様を生みだす。媒介と翻訳の過程を通じて種々のアクターが綿密に結びつけられ、各アクターが共に向かえるような新たな目的が構成され、特定のアクターが他のアクターが行動する際の必須の通過点となり、アクター間の隊列が整えられるようになる。この段階までくると、諸アクターの関係性の全体が一つのアクターとして他のアクターと関係を結ぶことが可能になり、内部の諸アクターの働きは他のアクターに直接影響を及ぼさなくなる。こうした「ブラックボックス化」(Black Boxing)と呼ばれる契機に至って、媒介項(未規定の入出力)は一時的に仲介項(一義的な入出力)に変換される。》

《このように、アクターネットワークは外側からの境界づけや外部環境とのシステム論的相互作用によって安定するのではなく、アクターがネットワークを構成し、それらのネットワークがブラックボックス化されて一つのアクターになり、さらにそれと他のアクターが構成するネットワークがアクターになる……という多レイヤーの入れ子構造を形成することで安定していく。ただし、それは常に暫定的な階層性でしかなく、特定のレイヤー内に関係が限定されるわけでもない。》

《私たちは、それと結びつくことによって自らがどう変化するか全く予想できないまま自らと結びつきつつあるものを「先端技術」と呼び、すでに自らそれと密接に結びついてしまったためにその他者性を忘却してしまったものを「技術」と呼んでいるにすぎない。両者には、生成のプロセスの進行具合に応じた連続的な違いしかなく、そのプロセスは私たちが制御できるものではない。》

《人間もアクターネットワークに内在している。ただし、アクター間の媒介の働きが安定化することで、諸アクターを仲介項として対象化できるようになる。私たちが自らと同一視している「人間」という形象は、膨大な非人間的媒介項との相互依存関係によって成り立つアクターのあり方がブラックボックス化されたものであり、それが常に私たち自身であるとは限らない。》

《私たちは媒介項の群れとして世界に内在しているからこそ、その派生的で一時的な効果として、仲介項に満ちた世界に外在することもできる。》