2022/05/19

●解像度を上げればよいというものではない。むしろ、(意図的に)解像度を下げることで、はじめて見えてくるものもある。有意義な解像度の低下。縮減、切り閉じ、という出来事。固有性は、それ固有の「解像度の下げ方」によって生まれるとも言える。「下げ方」というのは違うか。ある「解像度の下がり」という出来事から、一つの個が生じる。直観、印象、それも、研ぎ澄まされたものではなく、緩いものとして。フレームの緩み。撓んだ基底材。ある程度テキトーであること。

(解像度を上げるのがよくないとか、意味がないと言っているのではない。)

●海を見て「う」と口から漏れ、それが海を表わす語となる、とする(吉本隆明)。

(ここで「う」は、海を見た自分の状態---驚き・恐れ・動揺---を表現する自己表出であり、それが同時に「海」を示す指示表出でもある。初期の詩歌において、情景描写がそのまま「わたしの(心の)状態」である。)

この時、圧倒的な視聴覚情報として「わたし」に殺到する「海の知覚」が、「う」という一音に縮減される。「海の知覚」と「う」という音の間にある絶対的な隔たりが、飛び越えられ、強引に接合される。この「接合-飛び越え(縮減)」が「う」という語を語る「わたし」をつくり出す。「接合-飛び越え」によって「わたし(個)」が生じると同時に、その「接合-飛び越え」こそが「わたし(出来事)」である。その時に、こぼれ落ちるものと、新たに生まれるもの。