2023/09/07

⚫︎引用。『北陸代理戦争』(深作欣二)が原因となって主役のモデルが殺された件について。『仁義なきヤクザ映画史』(伊藤彰彦)、「第十三章 フィクションを模倣した銃撃」より。《高倉健が自分を演じたという過去の痺れるような経験》…、高倉健の神話的な力。

《山内(松方弘樹が演じた主役のモデル)は取材最終日に「喫茶ハワイ」で高田(脚本家の高田宏治)にこう言う。「ほんとうのいい極道の任侠の話、そんなきれいな話は駄目や。極道はこういう汚いとこもある。それをあからさまに出いてやね、僕が亡き後、こういう者が福井におったと言うもんを先生に描き残してもらいたい」と。ヤクザとというものはきれいごとばかりを書かせたがる、と思い込んでいた高田は驚き、「オレは笠原(和夫)さんの『仁義なき戦い』の美能幸三以上の玉を摑んだ」と雀躍りした。》

《七七年一月、高田宏治は脚本を書き上げた。従来の実録ヤクザ映画は過去の事件に取材したが、高田は現在進行中の菅谷組と川内組の抗争を脚本に描き込んだ。ラストでは川内役の松方弘樹をして菅谷役の遠藤太津朗に対し「勝てないまでも、差し違えることはできます」と痛烈な啖呵を切らせる。そうして高田は映画の中で、川内をして菅谷に後戻りができない「宣戦布告」をさせたのだ。》

《「こりゃあかん。川内さんに見せられへん」とこの脚本を読んだあと、並河正太は吐き捨てるように言った。ヤクザ社会に通暁した並河にそう言われては、橋本と奈村は不安に駆られる。二人は福井に飛ぶや、川内が自室で台本を読み終わるまで固唾を呑んで待つ。ガウンを羽織った川内が上気した顔で台本を片手に現れ、こう言う。「わしはいままで、大勢力に押し潰されていった弱小組織の悲劇をようけ見てきた。ほやから福井に出張ってきた神戸や名古屋や東京の奴らと徹底抗戦した。わしらのきれいごとやない反骨の生きざまがよう描けとる」。川内は高田の脚本を絶賛したのだ。》

《その頃、菅谷政雄は、自分のために『神戸国際ギャング』(七五年、田中登監督)を作った東映が、今度は自分と反目する川内弘をモデルに映画を作ると聞き、幼馴染みの伊藤浩滋に憤懣をぶつけていた。自分にとってたかだか「枝」にすぎない子分を主役にするという東映の企画は、菅谷正雄の神経を逆撫でした。》

《他のヤクザなら、たかだか映画ごときで目くじらを立てるのはヤクザの沽券に関わると思っただろう。しかし、菅谷にとって映画は特別に輝かしいもので、銀幕は汚してはならない聖地であった。また高倉健が自分を演じたという過去の痺れるような経験も胸をよぎった。ただちに菅谷は福井に使者を向かわせ、「そんなこと(映画製作)はせんどけ」と川内に最後通牒を伝える。》

《それを聞いた川内は、「なんじゃ、われ、なんぼのもんじゃ ! わしが作る言うのにお前ら関係ないやろ ! 」と使者を怒鳴りつけた。それを聞いたすがやは「田舎ヤクザなんか弾一発あったらええんや ! そう言うとけッ ! 」と吐き捨てた。川内はすでに賽を投げ、退路を断ち、『北陸代理戦争』に体を張る覚悟を決めていた。後に川内殺害を教唆する菅谷の一番の子分、浅野二郎はその様子をかたわらでじっと見ていた。》

《(…)深作欣二高田宏治がリアルタイムの抗争に題材を取って、川内弘という実在のヤクザを、大組織の侵略に対して知力を尽くして立ち向かうヒーローとして描いたことにより、抗争が一層激化し、川内が殺されたという事実には疑いの余地がない。》

⚫︎七十年代から八十年代へ。時代の転換を感じさせる。高倉健山田洋次の方に行く…。

《だが、『北陸代理戦争』は案に相違して記録的な不入りだった。その原因は、ネームバリューのある『新仁義なき戦い』のタイトルが外れたことや、興行力のある菅原文太が出演しなかったことだけでなく、この映画に漂う、実録ヤクザ路線末期を覆う暗鬱さが客を遠ざけたのではないか。》

《映画は当たらなかったが、高田の脚本は高く評価され、第一回日本アカデミー賞脚本賞にノミネートされた。実録ヤクザ映画の名脇役川谷拓三も助演男優賞候補となる。帝国ホテルでの授賞式で高田と川谷は胸を高鳴らせて受賞を待ち侘びた。だが、『幸福の黄色いハンカチ』(七七年、高倉健主演、山田洋次監督)の山田洋次朝間義隆が最優秀脚本賞を、武田鉄矢が最優秀助演男優賞を攫っていく。》