2024/01/06

⚫︎お知らせ。VECTIONとして、「トラストレスなイメージへ」というテキストをmirrorに公開しました。

mirror.xyz

概要は、noteにあります。

note.com

自律した個における多様なアイデンティティの尊重と、それを裏付ける人権意識の高まりは、他方でどうしても、つながりを失って分断された個人に、孤独感や孤立感をもたらしてしまう。

 

 そのような孤独感につけ込んで、多くの個がその傘の下に寄り添い合うことができるかのような、全体性の回復や伝統回帰のイメージ、あるいは、この人こそが世界を華々しく変革してくれるカリスマであるかのようなイメージを提示することで、人々を支配しようとする動きが目立つように思う。

 

 自律した個として生きられるような強い人は、実はそんなに多くはないのだとしたら、個がその一部であるような「大きなもの(大きな根拠)のイメージ」は、結局必要だろう。問題なのは、それを自分の利益のために、あるいは無自覚なままに他人を支配するため利用する者がいるということだ。

 

 そこで我々は、世界と自分との繋がりを感じられると同時に、世界への参加や行動の指針となる「全体性」を示し、かつ、その導出過程が透明である(特定の利害関係者によって歪められていないことが確かめられる)ような「イメージ」の可能性について考えた。

 

 「エビデンス」が増えることで、以前までは分からなかったことがわかるようになることを「解像度が上がる」という言い方をする。しかし、高い解像度を持つ画像やテキスト(情報)を「ざっくりと」把握するためには、むしろ解像度をうまく「落とす」ために抽象化する作業が必要になる。

 

 イメージの持つ「ふわっとした感じ」のもつ力というのは、「解像度を下げる」ことによって全体性を把握させる力ともいえる。「恣意的操作の危険性」を排除して、イメージの持つ「ふわっと把握させる力」だけを抽出して使えないだろうか?

 

そのようなイメージのことを我々は「トラストレスなイメージ」と名付け、その可能性について検討した。

 

「ふわっとしたイメージ」は、人間にとっては容易に計算できるが計算機にとっては大量の計算コストがかかり、高解像度のデータそのものより高い計算コストを必要とする。例えば顔のパターン認識や識別は、長らくAIの重要課題だったが、ようやく近年になって実用的なレベルで可能になった。

 

 トラストレスなイメージはそのような技術が可能になった現在だからこそ可能性が考えられるようになった、今までになかったものだ。だからこそ、これまでとは別の「人と社会」の関係を生み出す可能性があるのではないか。

⚫︎VECTIONの掬矢さんは、被災した珠洲市にかつて縁があったという。当時計画があった原発に対する反対運動に恩師がかかわっていて、掬矢さんもそこに参加していた。計画されていた場所は、今回の地震震源にとても近いところで、もし原発が建設されていたら酷いことになっていただろう、と。原発の反対運動をしていると「日本全国の様々な土地の消印のある同じ文面の脅迫状が届く」などということが起こる、とも話した。