朝。クリスマスパーティーかなんかで使ったらしい「 かぶりもの 」の残害が、道ばたに落ちていた。生首みたいに。だーっと並んで置いてある自転車の影が長く伸びて、道路に斜めの縞模様をつくっている。朝帰りの電車、今日は土曜なのにけっこう混んでる。眠い。
家について、午前中には、マイルス・デイビス「 DARK MAGUS 」、グレッグ・オズビー「 BANNET IN NEW YORK 」、キース・ジャレット・トリオ「 STANDARDS VOL1 」、ポール・ブレイ・トリオ「 C l o s e r 」を、じっくりと聴く。で、夜、カラオケで、椎名林檎とかプッチモニとか・・・。なんか、これって分裂してるかなあ。
こんなことが平気でできてしまう、というのは、音楽がぼくの生活というか感性に、何も重要なインパクトを与えていなくて、ほんの上っ面をサラッと流して聴いているだけだからではないのか・・と、自分を疑ってしまう。結局、なんとなくその場でのちょっとした耳の刺激、くらいにしか感じてないから、こんないいかげんなことをしてしまうのではないのか。
その時々に合わせて、自分の価値観というか、感性のモードを、かなりいいかげんに変化させて対応してしまう、というのは、つまり、何ものにも深く関わろうとしていない、ということで、なんかそれ、人の顔色をうかがって自分の態度を決定するような処世術みたいで、ヤな感じだ。こんなことばっかしてると、本当に重要な態度や価値観の変化を迫られるようなときに、きちんと対応できなくなってしまうぞ。
とは言うものの、「 俺は死ぬまでヤザワ一筋だ 」とか「 マイルスはやっぱり50年代が最高でしょう 」とか「 ビートルズこそが、今世紀最高のロックバンドだ 」とか、そういう「 こだわり 」っていうのは、単に感性が硬直化しているというか、麻痺してしまっているだけで、そんなのは死んでも嫌だ、と思ったりもする。まあ、そこまで雑な感性ではないにしても、一般的にマニアっていうのは、ある前提となる価値観は疑わずに固定させておいて、ただ細部のみに耽溺する、という傾向があって、ぼく自身けっこうマニア体質だったりもするので、そうならないためにも、目の前にみえた面白そうなものは何でも節操なく追いかけてみる、ということも必要なのかも。何となく引っかかるものは、とりあえず気にとめておく、ということは結構重要なことだ、ということにしとこう。(「 とりあえず・・・」とか「 ・・・しておく 」という保留のニュアンスは重要。どれだけ多くのものを気にとめつつ保留しておくことが出来るか、がその人の度量の大きさだったりする。)
で、椎名林檎なんだけど、何度か聴いているうちにだんだんと気になってくる。最初は、独自のエキセントリックな歌唱法やキャラクター、屈折した自己愛まる出しのエグい詞なんかが、ゲゲッ、って感じだったのだけど、だんだんそれに慣れて(麻痺して)くると、曲の良さ、というかメロディの良さが、改めて浮かびあがって、見え始めてくるように思う。最近のヒット曲にしては珍しく、普通に良いメロディー、だと思うのだけど、どうでしょうか。どうしても抵抗のある人は、一度カラオケなんかで、「 歌舞伎町の女王 」でも「 ここでキスして 」でも、自分の声で"フツー"な感じで歌ってみると、意外に「 いい曲 」だったりすることに驚くのではないか。まあ、あのエグい詞には、眼を瞑って・・・。(「 本能 」はまだちゃんと聴いてません。)今後の展開に、要注目。