夜が明けるかなり前。オレンジ色の街灯と、白い街灯。それらが照らす誰もいない道路。アスファルトの冷たさ。足から冷える。靴底の感触。ガードレールの白、その金属的な冷たさ。街灯の光で浮かぶ、木の葉の緑。午前4時頃、一番しずかな時間。新聞配達のバイクの音。戻って、窓を明け放しにする。冷たい空気が入ってくる。電気ストーブを1本だけつける。深呼吸。コーヒーを飲もうと思ったのだけど、なんとなく胃がうけつけない感じなので、お湯を飲む。ブラジルのテノーリオとかいうピアニストの、ジャズ・サンバ風のアルバム。『彼のウラから入る左手のコンピングと右手の運動によるパーカッシブな奏法は興奮モノだ』(ライナーより)興奮モノかどうかは知らないけど、普通にカッコいい。で、その後また椎名林檎
カラスの声が聞こえるようになる。空の色がかわってくる。空がだんだんと明るくなってゆくのをずっとぼんやり見ている。でももう、冬のような凄い青にはならない。勿論、椎名林檎、ずっとかかりっぱなし。静かな誰もいない道路と、カラスの声と、椎名林檎。カラスがすぐ前をすうーっと飛び、その瞬間に街灯が一斉に消えた。カップのなかのお湯はもう冷めていた。車の量が少しづづ増える。5時半過ぎ。
6時過ぎに、自転車で近くまで。明るくなるにつれて、だんだんと風がつよく冷たくなって、ほとんど木枯らしみたいになる。寒い、寒い。帰ってから今度はコーヒーを、うんと濃いめに、どろどろな程濃くいれて飲む。ウェイン・ショーター『ネイティブ・ダンサー』。
そういえば、ウェス・クレイヴンの『スクリーム3』は、今日から公開だっけ。あのホラーの行き着く果てのような、ホラーの廃虚みたいな『スクリーム2』のあとで、もう1本となると、どんなことになっているのか、とても気になる。好き、嫌い、で言えば決して『スクリーム』シリーズは好きにはなれなくて、『壁のなかに誰かがいる』なんかの方が断然好きなのだけど、それでもあそこまでのものを見せられれば、どうしても気になってしまうでしょう。でも、混みそうだし、貧乏人のくせに最近散財し過ぎだし、ビデオになるまで待つべきか・・・。
で、朝帰り。9時前の吹きっ晒しのホームに立っていると、身体が押されてしまうほど風が強くなっている。しかも無茶苦茶冷たい風。昨日は暖かかったので、それほど着込まずに家をでたので、震えてしまうほど。目の前で、不動産展示場の垂れ幕が、バタバタと激しく波打っている。
北野武菊次郎の夏』をビデオで。『HANA-BI』があまりにも許し難いと感じてしまう映画だったので、恐くて、ずっとこれを観るのを避けていた。ある意味、心配してた通りの緊張感の抜け方で、うーん、と困ってしまう。『あの夏、いちばん静かな海』の頃の大胆さとかって、どこへ行ってしまったのだろう。そろそろ壮年と呼ばれる年齢も終わりつつあり、初老へと差し掛かろうとするタケシの『心情』のようなものはよく分るといえば分るのだけど、こんなにずるずると感傷の方へ流れてしまっていいのか。こんなに簡単に『泣かせ』の技を使ってしまっていいのか。天使の鈴って、そりゃないだろう。
でも、確かに『3-4×、10月』や『ソナチネ』ほどではないにしても、独自の停滞する時間は、とても魅力的。特に映画の後半、グレート義太夫井手らっきょなども合流するキャンプの時間なんか、素晴らしいので、悪くばかりも言えない。で、うーん、うーん、と唸るばかり。編集し直して、クサいシーンを全部切ってしまって、1時間弱くらいの小品にしたらすごくいいかも、とか思ってしまう。(でも、多分そういう問題でもないのだろうなあ。)
北野武という人は、具体的な風景の生々しい表情を捉えることができない代りに、ほとんど抽象的で空っぽな空間や時間を構成できる人なのだと思う。
相変わらず俳優の使い方はとても上手くて、細川ふみえが少しだけ出ているのだけど、ぼくは初めて細川ふみえという人のことを「 いい 」と感じた。観ていて、細川ふみえって、タケシの好みの、ど真ん中の人なのだろうなあ、とすごく思う。