今日もメジロの声がやたらと響いている、あたたかな日。というか、メジロ以外にもいろんな鳥の声が聞こえるのだけど、どの声がどんな鳥なのか全然知らない。まあ、カラスはよく分るけど。それにしてもメジロの声は目立つ。声、でかい、でかい。ヌシのような奴がいるのか。
この日記には『忙しそなうこと』は全然書いてないけど、実はここのところ結構忙しくて、うんざり&バテバテ。特に今日は疲れがひどくて、疲れ過ぎでよく眠れないくらい。うとうとと眠っては、すぐ目が覚めてしまう。このあたたかさが、身体のだるさを一層際立たせてしまう。テアトル新宿の『カリスマ』最終日なので、なんとかもう一度観たいと思っていたのだけど、結局駄目だった。知らない間に『ハズバンズ』も終わってしまってるし。国立博物館の『日本国宝展』も、是非見たいと思っているのだけど、なかなか行けない。せいぜい、ちょっと空いた時間に本をぱらぱら読むくらいがやっと。あまりにかったるいので、思わずCDや本を沢山衝動買いしてしまう。
疲れているとどうしても、物事を八分の力で流す、ということが出来なくなって、きちんとやるか、だらだらぐずぐすになるか、どっちか、ということになってしまう。
展覧会が終わって1ヶ月ちょっと。図書館で借りてきた武田花の本の写真を見ていて、そろそろムズムズと新しい作品をつくりたくなってきた。もうちょっと我慢して、この欲望にある程度確信がもてるようになったら、また、頭を製作モードに切り替えてゆこうと思う。
インスピレーションという言葉は大げさ過ぎて、そんなに大層なものではないのだけど、作品をつくろうとする動機というか、きっかけのようなもの、ある、始まりの取っ掛かりのような『感じ』というようなものはあって、そういう『感じ』を得られるのはそうしょっちゅうという訳にはいかず、せいぜい年に一度とかそのくらいなのだけど、その『感じ』から始まって、様々な試みや、作業の構築というのが組み立てられる。もしかしたら武田花による一枚の写真が、その取っ掛かりになってくれるかもしれない、という予感がちょっとだけあるのだけど、、本当にそうなるのかどうかはまだまだ何ともいえない。
実際に作品が形になるのは、取っ掛かりとなる『感じ』からは、まだまだずっと遠くの、先の先の話なのだから。(ぼくの場合、正確なイメージというのは、絵具や画布という物質を前にして、実際に作業しているなかでしか、計測することが出来ない。)
でも、こういう、取っ掛かりの『感じ』から、実際に形になるまでの、『遠さ』『遅さ』というのは、現代の社会の流れのスピード感に対して、ちょっとどうなんだろうか、という気もする。実際、ぼく自身の生活のリズム感からも、大きくズレてしまっているのではないのか。こういう『遅さ』というのは、絵画というメディアに特有のものなのか、それともぼくという人物の固有性によるものなのか。