NHK、BS『おーい、ニッポン』

クリーム色の日傘が、日光を反射して輝き、ゆっくりと階段を降りてくる。朝。背景は真っ青な空。
NHK、BSの『おーい、ニッポン』をなんだかんだずっと観てしまう。今日のは沖縄特集。この番組は、ある一定の地域についてのあれこれを、延々と長時間(ほぼ9時間くらい)かけて紹介する、というもの。内容としては別にこれといって特に面白い訳ではない。あえて乱暴に言ってしまえば、『食いしん坊、万歳』だったらコンパクトに5分で紹介するような情報を、何時間もかけて、しかも生放送で、だらだらとやる、という感じ。
午後1時から始まった番組は、スタジオと何組かの生中継を結び、全て生で進行する。ずっと集中して見ているようなものではないので、つけっぱなしでなんとなく眺めているうちに、中継先の光線は少しづつ変化してゆき、やがて暮れかかり、そのうち完全に夜になる。すると当然、テレビのこちら側も夜。
生放送で、中継先は基本的にカメラ1台でやっている(時には複数のカメラが使われるけど)ので、時間を省略する、ということができない。だから例えば、商店街を歩き、その土地ならではのものを紹介するときも、実際にそこまで歩いて行き、途中で別な何かを見つけては立ち止り、また歩きだし、ようやく目的地について、そのものを手にする、という時間が、そのまま、その長さで、流れる。どうしても間が持たないような移動の時間などは、スタジオからの語りかけが入るのだけど、進行はいたってのんびりしてして、間延びしたって別にいいや、という感じなのだ。(このリズムが延々つづく。)テレビを観ているこちら側の時間と、画面に示される時間とが、リアルタイムで完全に一致してしまうという奇妙さ。しかもその時間は、ちっとも充実したものではない。
スポーツ中継なんかも、基本的には同じ構造なんだけど、スポーツ中継では、もっときびきびと見せようという意識が強く、よい場面をVTRで何度も反復して見せたり、同一の場面を複数の視点から見せたり、選手の人間ドラマを織り交ぜたり、解説者の言葉で間をもたせたりするのだが、そういう手法は、全く使われないという訳ではないにしろ、最小限に抑えられている。
沖縄といえば何といっても食べ物と音楽ということで、日も暮れた番組の後半になると、もうひたすら、飲んでは食べ、歌っては踊る地元の人々の姿が、延々と写し出されることになる。NHKだからこそ可能だといえる、大胆なまでのサービス精神の無さ。
この番組で示される最も重要な情報は、沖縄の風土や食べ物や音楽といったことではなく、まさに、実際の『時間そのもの』だと言えると思う。午後1時に始まり、10時に終わるこの番組が『9時間つづく』という、そのことこそがこの番組の『内容』なのだ。ぼくは実際に9時間かけて、『9時間』という時間を観るのだ。
スタジオに流れる時間、それぞれの中継先の時間、テレビをみているぼくの時間、それらの本来別々にある時間が、テレビというメディアによって中継=接続される。『9時間』かけて情報が伝達されるのでもなく、物語が提示されるのでもなく、ただ異なる場所の9時間が、中継装置によって、ふと、接続されてしまうのだ。
ぼくが高校生の頃、悪名高い『オールナイト・フジ』という番組があった。これも全く薄い内容とだらけた進行の番組で、しかも生放送で、終了時間未定、というものだった。土曜の深夜にやっていたこの薄くてルーズな番組では、しばしば酔っぱらった芸能人が乱入してきたり、司会者が酔ってへろへろになったり、あるアイドルが放送してはいけない言葉を連呼して、一時業界から抹殺されたりと、パプニングに事欠かなかったのだけど、本当に面白いのは、そられハプニングそのものではなくて、ハプニングを呼び寄せてしまう、全く内容の無いだらけた時間、を成立させていた、ということだったと思う。それが成立していたのは多分ほんの短い一時期だけで、すぐにたんに下らないバラエティ番組になってしまったのだったが。情報がなく、ただ時間だけが、どかーん、と、あること。