02/01/19

●昨日あたりから腹の具合がおかしいと思っていたら、今日になって喉が腫れてヒリヒリと痛くなった。微熱もある。大したことはないのだけど、風邪が長引くと面倒なので、たらたら寝て過ごすことにした。初期のテレビゲームみたいな、単純な幾何学的パターンの展開だけで出来ている夢を見た。ビデオで『トビー・フーパーの世にも不思議な怪奇アパートメント』を観る。
●今頃になって「新潮」1月号の松浦寿輝『虻』を読んだ。短編小説というのは、やはりこういうきれいな「オチ」がなければ駄目なのだろうか。こういう語りを成立させるのに、六本木のちょっと変わった、ゲイのあつまるディスコなんていう「いかにも」な舞台設定や、語り手が実は....だったなんていう、別に気が効いているという訳でもないきれい過ぎる「下げ」が必要なのだろうか。(語られる内容と、その語りのために設定される風俗的な細部が、乖離してしまっていると言う印象がある。語り手の語る「語り口」からは、ディスコのいかがわしい喧噪など、ほんの一瞬も聞こえてはこない感じなのだ。)理に落ち過ぎると言うのか、あらかじめ設定された「外枠」が、書くという具体的な行為によって、揺らいだり何かがはみ出てしまったりすることが一瞬もないままに、書き終えてしまったという感じだろうか。短編小説という形式が書き手に要求してくる「型」に、エクリチュールが負けてしまっていると言えばいいのか。松浦氏には、短編小説に要求される「型」や、長篇小説に要求される「構築」というどちらの拘束からも遠い、「中編」というとても不安定な長さこそが合っているのかもしれない。