昨日のつづき、柴崎友香『フルタイムライフ』について


●『フルタイムライフ』が、いままでの柴崎氏の作品よりも幅が広がったとすれば、それは次の二つの理由によると思われる。
いままでの柴崎氏の作品に登場する人物の変化は、基本的に天気の変化、場所の変化、会う人の変化によってもたらされるものであった。つまり、柴崎的人物(の気分)は環境の変化に反応して常に揺れ、移ろっているのだが、常に揺れているからこそ、その基底としてある「私」を支える気分は何も変わらない。この変わらなさは、柴崎氏の小説のひとつの核のような強さを形作っていると同時に、それを狭いものにしてもいるだろう。『フルタイムライフ』の主人公もまた、確固たる「気分」に支えられていて、変わらないと言えば変わらない。しかし、この小説においては、かなりの幅の時間(10ヶ月)、ほぼ一定の環境、一定の人間関係のなかに置かれ(移動することを禁じられ)る主人公は、その環境や関係のなかに「深み(深度)」を見いだす。これはいままでの柴崎氏の小説にはあまりみられなかったことだと思う。例えば、以前はあまり周りに「おっちゃん」がいない環境だったので、会社に「おっちゃん」がたくさんいると、どの「おっちゃん」も同じに見えてなかなか区別できない(「おっちゃん」一般のバリエーションとしか思えない)、と感じていた主人公が、時間の経過とともに一人一人の「おっちゃん」の個別の側面を発見しそれに触れたりするエピソードが丁寧に描かれる。(電車のなかで二人きりになってしまった気まずい時間のなかで、西田常務が会社と共にあった時間の「長さ」をふと感じたり、上司にばかり良い顔をして、いつも強引に無理な仕事を押し付ける山口課長に、仕事の失敗をさりげなくフォローしてくれるという一面を見つけたりする。だからと言って「おっちゃん」たちとそれ以上親しくなるわけではないが。)そのひとつひとつのエピソード自体は、驚くべきものとは言えないありふれたものかもしれないが、それらの丁寧な積み重ねは、時間の流れのとともにある「深度の深まり」を小説のなかに呼び寄せている。
もう一つは、二つの異なる場の共存とでも言うべきもので、主人公は「会社」に入って、それまでとは異なる環境、ことなる人物たちと関わるようになるのだが、同時に、(当然だが)それ以前からの人間関係も持続してある。会社以前の人間関係による世界は、会社に入る前の主人公の生活と連続したものの延長線上にあり、例えば、アパレル系のショップで働いている友人(つまりこの人物は学生時代と連続した時間の延長線上に現在もいる)とふたりで、クラブなどのイベントのフライヤーをデザインするユニットをつくって活動していたりする。主人公にとって、会社の時間と友人たちとの時間は、労働と余暇とか、仕事とブライベートとか(ハレとケ、とか、夢と現実、とか)という関係ではあるより、就職以前と連続した時間と、そこから切り離された時間という意味をもつ。『フルタイムライフ』では、柴崎的な場所の移動が禁欲されるかわりに、この二つの場の間の行き来があるのだ。そして興味深いのは、このふたつの場(あるいはふたつの時間)は、対立するのでも対比されるのでもないということだろう。くり返すが、柴崎的人物は、環境によって移ろいつつも、実はどこにいても「変わらない」。主人公は、このふたつの異なる場を、ほとんど同一の視線で眺め、同一の手触りで触れ、同一のテンションで関わる。この主人公にとっては、例えば、本当はデザインがやりたいのだけど、生活のために事務職をしている、というような「夢と現実」みたいな対立はなく、どちらも同等に重要な「現実」であるのだ。これこそがこの小説のもっとも美しい事柄の一つだと思う。だから、『フルタイムライフ』という小説が柴崎氏の幅を広げたとするならば、それは、浮世離れして浮遊した学生しか登場しない小説から、ちゃんと普通に働いている現実的な人物が登場する小説へと移行したからではなく、それらのどちらもが現実として、同時に、同等に存在し、重ね合わされているからなのだ。
●これはいつものことなのだが、柴崎氏の小説はシーンの設定や空間的な展開がとても素晴らしく冴えている。例えば冒頭のシーン。膨大な書類をシュレッダーで処分させられている場面は、その仕事内容と悪戦苦闘ぶりが新入社員という立場を的確に示しているというだけでなく、このシュレッダーは、総務や経理や(主人公のいる)経営統括部のあるスペースと、そのフロアの反対側の営業本部のあるスペースとを繋ぐ通路部分に置かれていて、そこには《ひっきりなしに人が行ったり来たり》している。だから、この場所で悪戦苦闘している主人公の脇を、この小説の主要な登場人物たちが、次々と通りかかり、何か一言言っては通り過ぎて行く。この(映画で言えば)フレームのなかに忙しなく人が入ったり出たりする生き生きしたリズムと空間の構成(カット割りや編集)が、複数の登場人物のキャラクターだけでなく、会社という場所の雰囲気も的確に伝えることになるだろう。(ステイプラー用リムーバーなんていう、聞いた事もないようなオフィス文具の名前がいきなり出てきて「会社」という感じを引き立たせたりもするし。)加えて、この場所の近くには珈琲の自販機も設置されていて、柴崎氏は、この冒頭の忙しない場面で、時折、とても印象的に珈琲の香りをたてるのだ。このようなとても複雑な場面を設定することが出来て、しかもそれを、活き活きと印象的に、さりげなく(読みやすく)さらっと描出できるという点で、柴崎氏の才能は突出していると思われる。