レンタルビデオ屋に入ったら、おそらく五十年代の、耳に荒々しくささくれ立つような、バリバリのハード・バップが流れていて(それが誰の演奏なのかということまで聞き分ける耳はぼくにはないけど)、カウンターには若い、二十歳そこそこくらいの男の子が二人いて、一人がもう一人に、ジャズにおけるアドリブの概念について熱く語っていた。いまどきの若い人がハードコアなモダンジャズを好んで聴いているのは意外とも思えるが、でも、生真面目な若者が往々にして求道的なものに惹かれがちだということは、自分のことを考えても納得出来る。だいたい「モダン」という名のつくものは、過度に求道的な(あるいは求心的な)性格をもつのだった。ただ、求道的なものは、あまりにたやすく「党派的なもの」(あるいは「排他的なもの」)へと転化してしまいがちで、そこらへんを峻別する感性を持つか持たないかということは、とても重要であるはずだ、と、既に若いとは言えないぼくは、しみじみと思うのだった。