●『進撃の巨人』、10話まで観た。放送時には確か2話まで観て、それ以降は観なかった。それは面白いと思えなかったからで、今回も、7話くらいまではまったく乗れなかった。たんに退屈というだけでなく、「嫌な感じ」をずっと持ちながら観ていた。お話も、語り方も、演出も、絵柄も、キャラクターも、どれをとっても好きになれなかったし、ブラック企業の雰囲気ってこういう感じなのかなあ、みたいに思って観ていた。だけど、7話、8話くらいの展開で、ちょっと「おっ」と思って、それから作品の世界を受け入れられる感じになった。
(嫌な感じなのに7話8話まで観つづけたのは、話題作に対する「どんな感じなのか」という興味と、年末モードでなんとなくダラダラして観ていたから。)
まだ、積極的に「面白い」という感じになったわけではないけど、嫌な感じというか、抵抗感のようなものはなくなった。作品を観るという時、はじめから自分の感覚にピタッと合うものもあるけど、そういうのは稀で、多くの場合、ある程度は抵抗があってもとにかくまるっと飲み込んで受け入れなければならない部分というか、その作品を受け入れるための(その作品と自分の関係を)地ならしをする段階というのがあって、その部分にはとにかく我慢して付き合わなければならない。構築性の高い大作とか、あるいは、自分の趣味や普段触れている馴染みのある感じから遠い作品の場合、この段階のハードルは高くなる。ぼくはこの点でどうにもこらえ性が無く、直観的につまらないと感じたものと長く付き合うのが苦手だ。実際、最初の段階でつまらないと感じたものは、いつまで付き合ってもつまらないままということも多い。とはいえ、最初に強い抵抗を感じたものが、ある一線を越えた途端に、まったく別の風景がひろがっているものとして見えるようになる、ということがあることも知っている。その時は、ただその作品の良さが分かるようになるというだけでなく、それを受け取っている自分も何かしらの変化があったということだと思う。
(だから、「つまらない」と思ったものに、どの程度、どこまで付き合うのかという判断はいつも難しい。)
『進撃の巨人』にそこまでのものを感じたというわけではない。とにかく、この作品を受け入れる体勢はできたから、どの段階で(なにをきっかけに)観るのをやめようか、という感じで観ていたモードから、もう少し先を「楽しみ」にしてみようというモードにかわった、というくらいの変化だ。もしかすると、最初に「嫌だ」と思ったものに対して麻痺してしまっただけかもしれないし。
(とはいえこれは重要な変化で、例えば、嫌いな人のする事はいちいち気に障ったりして、どうしてもはじめから否定的なバイアスをかけた形で受け取りがちだけど、嫌悪感が消えれば、様々な事柄を、予断を排して、判断を開いたままで—-期待としては好意的な感じで—-受け取ることが出来るようになる。)
語りの構成からすると、1話から7話くらいまでは、なにがなんだか分からずに圧倒的な状況の変化に飲み込まれてゆく(と同時に、作品の世界観を示す)という段階で、7話8話くらいで一つの転換点があって、9話10話で「世界の謎」が示されることで、お話の方向性がかわって、謎に向かってゆく感じになる、というところだろうか。7話8話の「話の転換点」を観て、「おおっ、そうくるのか」という感じになって興味を惹起され、おそらくその「おおっ」という驚きによって「作品世界の受け入れ」がなされた。とはいえ、「後出しジャンケン」のように「隠された過去」を追加することで、世界に謎を生じさせ、その「謎」の求心力によってお話を展開させてゆく、というような語りの形はぼくは嫌いなので、せっかく「作品の前提」を受け入れられたばかなのに、すぐに、やっぱつまらなかった、ということになるかもしれない。
まあ、予断は排して、つづきを楽しみに観たい。