『東京大学のアルバート・アイラー/東大ジャズ講義録・歴史編』(菊地

●やばい。6月の上旬までにやらなければならないことがあり、結構ギリギリの状態で、今日は一日集中してそれをやろうと思っていたのに、ちょっと途中で息抜きに読み始めた『東京大学アルバート・アイラー/東大ジャズ講義録・歴史編』(菊地成孔大谷能生)が面白くて、ついつい最後まで一気に読んでしまった。この本は、モダニズムとしてのモダンジャズの歴史についての本とも言えて、例えば松浦寿夫モダニズムを「ある種の合法化の体系」だ、というようなことを言うのだけど、この本は、ジャズに「法の体系」を与えたバークリー・メソッドによってジャズのモダン化が促進された、みたいな書き方になっている。それは、モダンジャズがバークリー・メソッドに導かれてつくられたということではなく、一部の先鋭的なミュージシャンたちによって(自然発生的に)生み出されたビバップと呼ばれるような音楽(語法)が、たまたま、効率的に商業的なミュージシャンを育成するために整えられたバークリー・メソッドによって、より的確に分析・記述されるようなものだったことによって事後的に「合法化」(つまり事後的に「法」が発見され)されたのだ、と。もともと自然発生的であったものが(それをベースにしつつ)「再帰的」に見いだされ、その、自然発生的なものと理論的な対象化との間に生じた蜜月的な状況によって、演奏は形式化され(形式が意識され)、その形式の発展とその歴史とを含み込む、ジャズのモダン化が生じたのだ、ということ。これは典型的なモダニズムなんだけど、ジャズの特異性は、それが同時に商業音楽であるという点にある。
《バップからモダンジャズの流れっていうのは、最初は少数派だったとはいえ「明晰な被分析性」に基づいた、誰でも参加できる集団戦でさ、オーネットみたいに孤独に自分の音楽を磨く、みたいな人はあんまり多くないんですね。》《これは、ジャズていうのが基本的にショウ・ビジネスから出て来た音楽で、(略)マイルスなんかは板の上で客に向かってパフォーマンスをしてちやほやされる、っていう感覚を最期まで失いません。ジャズは「モダン」になっても、ずーっと商業主義の一端に引っかかったまま、むしろその芸能界のパワーを利用しながら発展してきた音楽だったんです。》
●この本の面白さは、上記のようなモダニズムとしてのジャズ史の記述という側面にだけあるのではなく、個々のミュージシャンや演奏についての分析・記述が明晰で、とても魅力的であるという点にこそある。例えば、ビル・エヴァンスの有名なトリオ(ポール・モチアン、スコット・ラファエロ)の演奏について。
《ここで律動に注目して下さい。これ、バック・ビートが殆どありませんね。ビートは完全にキープされているんですが、そうやってキープしながら、しかしフレーズに合わせて自由にリズムのアクセントをつけてゆく。ビート感を見失わないで、しかし、積分的にフレーズを足していって、ふわーっとフローティングしているかのような空間を作り出す。エヴァンスはリズムをかいくぐるかのようにして弾く、ってマイルスが言ってましたが、例えばフィリー・ジョー・ジョーンズみたいな、どんな演奏でも強力にバック・ビートを聴かせるドラミングに対して、きちんとテンポは守りながらも、旋律に自由に陰影をつけながらアドリブのフレージングをしてゆく。》
こういうのって、たんに演奏を説明・分析しているだけではなくて、読んでいてビル・エヴァンスの演奏が聴こえてくるような感じだと思う。