●夜遅くなってからビデオを返すために出かけ、人気も街灯もなく家々の窓から漏れる光と、たまにある自動販売機の(そこだけは眩しいくらいの)光だけに照らされているような暗い住宅街の細道を縫うように歩いていて(近くのツタヤまで、そんな道を片道十二、三分歩く)、門が道から凹んでやや奥まったところにある家の前を通りかかり、通り抜けようとするその時にふいに、誰もいないと思ったその凹みのスペースに人の気配とぼそぼそ声とを感じて、はっと驚いた。そこには中学生くらいの男の子が二人、まるで半ば暗闇に溶け込むようにしゃがみ込んで、何かぶつぶつ話しているのだった。それを見て思い出したのが、中学生くらいの頃の、学校の帰りとかに友人と、別に何か特に話す用事とか面白い話題とかがあるわけではないのに、ただだらだらと話しているうちにどんどん周囲は暗くなっていって、にも関わらず話を打ち切るきっかけもなく、立ち去りがたい感じで、かと言って誰かの家に行って改めて話そうとするほどのこともなく(田舎の中学だったので近くにマックとかがあるわけでもなく、ぼくが中学生の頃はまだコンビニなんかも一般的ではなかった、つまり、「だべる」ための場所はなかった)、下駄箱のところとか、河原とか、農道の端っことかで、いつまでもだらだらとそこにいて、暗くなるとともに徐々に話題も途切れがちで沈黙も長くなって、あるいは、暗くなるにしたがってどうでもいい話が妙に盛り上がったりしてきて(こういうのって、周囲で覚めてみていたらとても「気持ち悪い」感じだと思う)、そんな時に感じていた、人恋しいというか、まったりとしているのと同時に不思議に高揚しているような、そんな「感覚」だった。「だべる」というまったりと群れる感じへの欲求と、周囲が暗くなり夜が深くなってくることによって感じられる高揚感(あるいは寂しさ)のようなものが、それを効率的に処理する「形式」(年齢と共に、この形式を憶え、そしてそれが形骸化してくる)を得ないままで漂っているような、そんな生々しい「感覚」と言えばよいのか。