●いちょう並木のある大通りの歩道は午後まで細々と残っていた雨で湿っていて、そこに木から落ちて踏みつぶされた濡れたギンナンが道路に沿ってずっと散らばっていて、湿った空気で強調された癖のあるにおいが漂っていた。このにおいは毎年のことだ。(以前は、住んでいたアパートと駅の間にこの大通りがあったので、ほぼ毎日ここを通っていて、並木の季節ごとの変化を日々見ていたのだけど、今は駅の反対側に越してしまったので、何か用事がある時しかここを通らない。すぐ近くなのに、線路を挟んだ駅の反対側は何故か疎遠になりがちだ。)一人の中年男性が、歩道にしゃがみ込んで、飼い犬の糞を拾うようなやり方でギンナンを拾っていた。(反転させたビニール袋のなかに手を入れて、ビニール越しにギンナンを掴み、袋をくるっとひっくり返してギンナンをビニール袋に納める。)
●「新潮」に連載されている保坂和志の「小説をめぐって」は、毎月、二回、三回とくり返し読んではいるのだが、その内容について直接何か感想を書くのはむつかしい。これから書くのも、その内容と直接的に関係があることではないのだが、保坂氏は11月号で、ミシェル・レリスの「一九八〇年三月十八日」の日記を引用している。つまり、レリスは1980年にはまだ生きて(存在して)いて、日記に《生でも死でもない、この詩という場に、わたしという存在の総体をおきなおす》とかいうことを書き付けていたということだ。1980年といえばぼくは13歳で、その年は思い出せる限りでぼくの生涯で最も「濃い」年で(実際には幼年期の方が「濃い」のだろうけど、それは「思い出せない」から)ぼくがそのような「濃い」時期を田舎の中学生として過ごしていた同じ時に、1901年に生まれ、20世紀初頭の重要な芸術運動や芸術家たちと深く関わってきたレリスがフランスにはまだ「存在して」いて、《生でも死でもない、この詩という場に、わたしという存在の総体をおきなおす》とかいうことを考えたり書いたりしていたのだということを「意識する」ことは、20世紀初頭のヨーロッパの芸術や芸術家たち(や、それを生み出した「場?のようなもの)が、決して自分と全く切り離されたものではない、ということ、全くの「他人ごと」だというわけではない、ということを感じさせてくれるのだった。