鈴木清順『オペレッタ狸御殿』

鈴木清順の『オペレッタ狸御殿』はあまり面白くなかった。まず、企画として徹底的に駄目だと思う。ミュージカルだけど、音楽も踊りもいまひとつでも、鈴木清順ならなんとか映画に出来るだろう、装置にもそれほどお金はかけられないけど、デジタル合成を使えばなんとかなるだろう、という安易な態度がみえてしまうように思う。細部までちゃんとこだわってやっているわけでもなければ、はじめから「貧しさ」のなかで(破れかぶれで)なんとかしようというB級狙いでもないという、中途半端な感じ。もともと、鈴木清順の「創造性」の多くの部分は、どうしようもない「貧しい」状況のなかで、それをなんとか逆手にとるための様々な工夫によって成り立っているところが大きいと思う。そのスタイルは、厳しい制約のなかから生じたもので、制約がゆるくなってもなお、そのスタイルや形式を(独立させて)厳しく追求し洗練させようという感じはほとんどないと思う。そして、鈴木清順の面白さは、その点に掛かっているとも言える。つまり、自らのスタイル(「清順美学」)などには安住せず、平気で大きく「外し」たかと思うと、時に凄く生き生きとしたものを捉えることに成功する、という、いわば「大掴み」な感じといえばよいだろうか。(ぼくは『ピストル・オペラ』は傑作だと思う。)で、この映画は、大きく外しているわけではないけど、生き生きとしたものを捉えているわけでもないように思う。とんでもなくひどい映画になりそうな企画が、鈴木清順の「芸」のおかげで、まあまあなんとかなった、というくらいだろうか。(それにしても、この映画のオダギリジョーは全然良くない。ただ突っ立っているだけ、という感じだ。)