ポロック

●新宿まで映画を観にいこうと思っていたのだが、ポロックの画集を見ていたらとても面白くて、出掛けるのをやめてしまった。ポロックは基本的に野暮ったくてマッチョな画家で、初期の作品のまるでシケイロスみたいな重たくて大仰な絵はまったく好みではないのだが、1946、7年くらいから1950年頃まで、奇蹟のように充実した作品をつくるようになり、しかしまた、51年以降、急速に作品が弛緩してゆき、そのまま、ほとんど自殺に近い事故死をしてしまう。だからポロックが充実した作品を残した時期はとても短い。しかし、その短い充実期にだけ、全然違うことをやっていた訳ではなく、ポロックの絵は、上手くいっている時もいっていない時も、やろうとしていることは基本的にかわらない。画面のなかに、飽和状態になるほどの無数の力が多層的に放り込まれ、重ねられ、それらがせめぎあっている。初期の作品は、それらが神話的でプリミティブな形象の、ダイナミックな(というか、大げさな)折り重ねと、分厚く塗り込まれた絵の具の層とによって、人を圧倒する(というか、圧迫する)ようにたちあがる。こういうのを「強い」と表現する人もいるけど、これは例えば、体格の良い男性に行く手を阻まれた時に感じる圧迫感のようなものに近くて、「良い作品」のもつ、軽さとやわらかさとをもちつつも、その組成の複雑さを「把握し切れない」ことの過酷さによって感じられる「強さ」とは、根本的に異なる。ポロックは様々な試行錯誤をつづけ、動物や人の顔などを想起させるような神話的な形象(イメージ)を用いるのをやめること、明らかに欠点である色彩の使用を大幅に抑制すること、木枠に貼られていない状態の布を地面に敷いて、その上から絵の具を垂らして描くドリッピングという手法を採用すること、等によって、自分がずっとやろうとしていたことを高い精度で実現するための「やり方」をついに発見する。ポロックは、色彩を抑制するかわりにアルミニウム系の塗料など、様々な種類の(触感や堅さや流動性の異なる)絵の具を使うようになる。そして、床に敷かれた布の上に絵の具を垂らすという描き方は、立て掛けられ、枠に貼られたキャンバスに描くよりも、多様な描く動作を可能にし、フレームへの意識の変容も迫られる。つまり、このような「やり方」は、絵を描く時に、視覚よりも、(絵の具への)触覚や描く身体の運動する感覚に頼る割合が大幅に増すのだ。
ポロックの、いわゆる「オールオーバー」な画面は、決してオールオーバーではなく、あきらかにムラのある広がりとしてある。しかしそれは、複数の運動、複数の線による、複数のレイヤーの折り重なりとしてあるので、それを見る人が、結果として(事後的に)オールオーバーなものとして「認識する」しかないようなものだと言える。つまり、ある時間の幅のなかで、見られ、感じられていた、様々な運動や線やテクスチャーの重なりを、ある時間が経過した後、自分が見たものは何だったのだろうかと反省的に把握しようとした時(つまり、時間によってフレームが区切られた時)、その経験の総体(を事後的に「まとめ」ること)によって、あれはオールオーバーな画面だった、という認識が構成される。ポロックの絵は、雑木林のなかで様々な種類の植物が折り重なっているように複雑であり、その様々なレイヤーを行き来しつつ観る行為は、雑木林のなかを歩いて移動する感じに近い。と同時に、ドリッピングによる線は、明らかに人の身体の動きを想起させるものなので、それを観る人の身体の運動の感覚に作用し、しかしそれは(音楽が人を踊らせるようには)直接的に実際の運動を促すようなものではないので、その感覚は、意識以前の「運動の待機」というような次元に留まり、そのことが返って、その人の前意識的な(神話的な次元の)身体的記憶を刺激し、駆動させるようにも思う。(つまり、具体的に神話的モチーフを「描く」ことなく、神話的な記憶の次元へと人を誘う。)
51年くらいから、ポロックの高度に洗練され、かつ、高い緊張が保たれた作品が、急激に「崩れ」だしてしまう。この崩れには二つの異なる方向がある。一つは、それまで排除してきた神話的でプリミティブなイメージが、この頃から再びあらわれるようになり、この具象的イメージと、オールオーバーな空間構造の折衷が、作品の緊張を低下させることになる。そしてもう一つは、それまで抑制されてきた色彩が、かなり無防備に使用されはじめ、しかし明らかに色彩を使いこなせていないので、制作の最後の段階で無理矢理辻褄を合わせるように、白い絵の具で画面を覆ったり、「ブルーポールズ」のように、目がそこに吸い寄せられるような「注目ポイント」をつくったりして、なんとか「絵」っぽくなるように誤摩化したりしはじめる。(もともとポロックは、白の使い方がものすごく「危ない」のだけど、その危なさがこの頃には前面に出てしまっている。)
ぼくは、前者の方向は必然的な流れだと思う。50年頃に制作された「ラヴェンダー・ミスト」や「秋のリズム」のシリーズなどは、ポロック的なオールオーバーの形式の最高の段階の作品であり、言い換えればそれ以上先はない行き詰まりでもあるので、そこでもともと神話的でプリミティブな画家であるポロックが、オールオーバー的な形式を利用しつつ再びイメージを復活させるのは当然の流れと思われる。この傾向の作品は主に、黒一色か、あるいは極めて抑制された色彩によって描かれていることも、ポロックが自分がやろうとしていることの方向を的確に掴んでいることを示している。この傾向の作品は、ラヴェンダー・ミスト」や「秋のリズム」と同等の精度や強さをもつには至っていはないとしても、決して悪い作品ではないと思うし、さらにここからもっと面白くなってゆきそうな可能性が感じられる。(ドローイングなどで、かなり面白いものもある。)
対して後者は、たんに「崩壊」としか思えないもので、ポロックポロックの自己模倣をしようとして、しかしあまり器用ではないし、やる気もないので、ぐたぐたになってしまった、という感じだろう。緊張感が感じられず、ポロックがインタビューなどでしばしば言及するような、作品とのギブ・アンド・テイクの関係が全く成り立っていなくて、適当に絵の具をぶちまけて、最後のところで表面づらだけなんとなく「決まった」感じにしているだけで(つまりこれらの作品には、複数のレイヤーの複雑な折り重なりがなくて、たんにオールオーバー的な形式だけがある)、見ていて、これを描いている時、凄く苦しかった(嫌だった)だろうなあ、という感じがひしひし伝わって来て、こちらまで息苦しくなってくる。これをつづけたら、死ぬしかなくなってしまうのも当然かもしれない、という感じだ。
51年以降のポロックは、行くべき方向を完全に見失ってしまったわけではなく、ある程度は見えていたはずなのに、(前者の方へ自信をもって進むことなく)何故このような分裂が生じてしまったのだろうか。