あの『ヘリウッド』(82年)の長嶺高文が...

ビデオ屋で、あの『ヘリウッド』(82年)の長嶺高文が『けっこう仮面』の監督をしているDVDを見つけて、思わず借りてきて観たのだけど、「ああ、予算がないんだなあ」という以外の感想をもちようのない、悪口さえ言いようのない淡白なつくりで拍子抜けした。はじめから『ヘリウッド』ほどの「濃さ」を期待していたわけではないけど。(ただ、驚いたのは、はてなのキーワードによると、長嶺氏が「ぶらり途中下車の旅」のチーフディレクターであるらしいという事実だ。)
●一体、どこでその情報を仕入れたのかは憶えていないけど、82年に神奈川の田舎の高校生だったぼくは、『ヘリウッド』を観るために、遠路、原宿(確か、当時、桑沢デザイン研究所の前にあった駐車場のような空き地に、シネマプラセットのドーム=テントが設営されていた)まで出掛けて行ったのだった。その後、同じ高校で一学年上の女の子が撮った八ミリ映画を観る機会があって、その映画がほとんど『ヘリウッド』のそのまんまのパクりの部分があって、こんなに近くに、自分と同じように、あんなマイナーな映画をわざわざ遠くまで観に行った(そして少なからずハマった)人がいたんだ、と驚き、妙にうれしくなった記憶がある。(当時は、インターネットもないし、ビデオソフトなどもそんなには流通してなくて、田舎の高校生の情報はきわめて限定されていた。例えば、ウェブがあれば、その人が所属している集団や地域と関係なく、「同じ趣味(傾向)」をもつ人たちが「繋がる」のことはとても容易に可能なのだが、ウェブ以前は、そういう(マイナーなものを媒介とした)「繋がり」は、情報が限定されている田舎では困難であった。ぼく自身、自分でホームページをはじめるまで、ぼくがこの「日記」に書いているようなことに反応するようなタイプの人が多少なりともいる(実在する)ということを、実感をもって想像することが出来なかった。実は今も、あんまり実感できてないのだけど。)
『ヘリウッド』のような映画が「輝き」得たのは、オタクとサブカルとがまだ分離してはいなくて、しかもそこにアングラとの繋がりが残っていた80年代初めのごく短い一時期に限られているのかもしれない。それは大林宣彦の(『ハウス』よりはむしろ)『ねらわれた学園』(81年)の雰囲気(あの不思議な豪華キャストとか)に近いものがある。マイナーなものたちが雑居する、得体の知れない(そして、ユルい)複合体のような感じは、80年代も中盤に入ると、オタクとかサブカルとかアートとか 、あるいは細分化された「何とかカルト」みたいな感じや、それらと明確に分離されるシネフィル系とかにそれぞれ分かれ、整理されて、棲み分けられてしまうのだけど。この(本来、相容れないかもしれない者同士の)不思議な雑居は、ある意味、情報の流通量の少なさによって可能になっている部分もあったのではないか。そしてその後の分離は、情報量の増加による必然なのかもしれない、とも思う。