●一昨日や13日の日記では触れていないのだけど、マティスには、1905年のコリウール滞在の時期の(フォーブ期の)作品から、1907年の『豪奢』などの作品への飛躍との間に、1905 ̄6年頃描かれたとされる『生きる喜び』という作品があるのだった。ぼくはこの絵をバーンズ・コレクション展で観たのだが、あまり良い作品だとは思えなかった。しかし、この絵を、フォーブから『豪奢』へといたる過渡的な時期の作品としてみれば、きわめて重要な絵だと言える。使われている色彩は、『コリウールの窓』や『コリウール眺望』などのフォーブ的な作品とほとんどかわりはないのだけど、絵の具の物質感や筆触を強く感じさせる厚塗りの触覚的な感触が、同時に、光や空気をたっぷりと含んでいるようにみえたフォーブ期の作品とはちがって、塗りが薄く平滑になり、しかも、線によってあらかじめ区切られた範囲を塗り絵のように塗ってしまっているので、平板さと堅さとが感じられ、それによって色彩の魅力もかなり減退している。セザンヌの「水浴図」を想起させるような画面の構成も、細かい単位が散らかってしまっているような感じで、あまりうまくいっているとは思えない。おそらくこの「散らかった」(と同時に「堅く平板な」)感じは、画面に侵入してきた線描によってもたらされたものだと思う。ここでは、色彩(色面)が「線」にあまりに強く影響を受けてしまっているために、(塗り絵のように)「線」に沿った形から逃れられなくなってしまい、だから画面を追う視線が、ひたすら線に沿って流れてしまい、それを留めるもの(別の動き)がないのだ。視線の動きが一義的で単調だから、それを補うために、いくら細かく、多様な要素を画面に投入したとしても、それらは「散らかった」印象しか生まない。この単調さはまた、線描の導入にあわせるように、絵の具の塗りが薄く平滑になったことで(物質感によって目が留らずに滑ってしまうので)さらに増幅されてしまっている。線によって、マティスの絵の魅力的な秩序や複雑さが崩れてしまっているのだ。つまりそれくらい、「線描」の導入は、マティスのそれ以前の絵からすれば相容れない唐突なものであり、大きな事件であるのだ。(この「線描」が一時的な実験ではないことは、これにつづくマティスの作品が示している。)そこまでして、なぜ、この時期のマティスは「線描」をタブローに投入したのだろうか。
●例えば、セザンヌが「人間以前」の場所で絵を描く画家だとすれば、マティスは「旧石器時代」の画家のような画家だ、と考えたらどうだろうか。(マティスの絵と旧石器時代の壁画とに共通するものがあるということは、若林奮が発言している。)マティスの「線」は、世界(自然)と人間とが分離する、その最初の力のように生まれてくる、とは言えないだろうか。マティスの「線」は、人間以前と人間との境界から浮上してきたのではないか、と。あからさまにロマン主義的な傾向の強かった若い頃のセザンヌは、そのロマン主義的、主観的、人間的な感情から(その「人間的な感情」の激しさそのものに導かれるように)徐々に「人間以前」の場所へと向かってゆく。文化的な環境のただなかで生まれながら、徐々にそこからこぼれ落ちてゆく、と言えばよいのか。例えばセザンヌの晩年の風景画は、人類が滅亡した後にもなおつづいている(人間によって見られることのない)地球の地殻変動や気象の変化の有り様までをとらえようとしているようにもみえる。セザンヌが、世界の深さに直接的に切り込もうとしているのに対し、マティスは、世界(自然)から人間が分離してくる場所、あるいは、人間が世界へと埋没し溶解されようとする場所、そのような境界において仕事をしていたのではないだろうか。そして、このときにあらわれてくるのがマティスの「線」なのではないか。セザンヌの描く、石のように凝縮し、堅く閉ざされたような肖像画と、マティスの描く、それ自体が環境の一部であるかのようにほぐされ、拡散ぎみの(しかし断固としてボリュームを失わない)人体。セザンヌの描くのは事物としての肖像(人格や気質さえもが事物のように存在しているような肖像)であり、マティスの描くのは環境の一部としての、環境から分離したばかりの、あるいは、環境に溶け込みつつある「人体」(人物を描くことによって、その人物を生んだ環境をも描くような人体)のように見えたりもする。