●夏の夕方。新宿、六時四十分頃。駅構内から階段を昇って、アルタ前の広場へ出る。それほど暑くはないが、べたっとした空気に肌が包まれる。風がない。信号の前には多くの人が溜まっている。空気のこの湿り気は、気象上のものであるというよりは、露出された人の肌の体温と、そこから蒸発した汗によるものではないかと感じられる。体臭や汗のにおい。香水や石けんやコロンのにおい。生ゴミや吐瀉物のにおい。べったりと重たい空気のなかで鼻先を掠めては、すぐ消える。アルタに設置されている大型画面に、ある巨大な宗教団体のコマーシャルが流れている。(ここを通るたびにこれを目にする。)信号待ちの人の溜まりで、こんなに多くの人がたて込んで、相手の体温や汗までも感じられるくらい近くでじっと立って待っていられるのは、互い同士にまったく関心がないからだろう。横にミュージシャンの写真が刷り込まれ、そのCDを大きな音で流しながらはしっている宣伝用の大型トラックが、目の前をゆっくりと(信号待ちの人々に排気ガスを浴びせつつ)通り過ぎ、先にある狭いカーブを、強引、かつ、窮屈そうに曲がってゆく。長い待ち時間の後、信号を渡り、歌舞伎町の方向へと歩いてゆく。
回転寿し、貴金属店、凄い趣味の紳士服店靴屋、個室ビデオ、大人のおもちゃ、ドラックストアなど、両側に間口の狭い店が雑多に並ぶ。大勢の雑多な人々とすれ違うが、ぼくはその誰もを「雑多な人々」としてしか認知しない。それでも十分に圧迫されるし、くらくらする。流れにのって歩く。地上は薄暗くなりつつあり、空の明るさはまだ十分に残っている。雲に蓋された空は、夕日で、ピンクと紫の中間のような色で輝く。光の感じが妙なのは台風が近づいているせいなのだろうか、空気の湿りのせいなのだろうか。靖国通りに出ると、ネオンは既に派手に輝いている。ネオンは、真っ暗な空を背景に輝くよりも、まだ薄明るい夕方の空を背に輝いている時の方がギラギラ感が強くて、ほとんどこの世のものとは思えない。信号待ちでまた流れが滞って人が溜まるが、信号が替わると、広い靖国通りに、溜まっていた人々がバラバラッと散らばってゆくので隙間が出来、道の真ん中では、真っすぐ続く通りなので遠くまで見渡せて、すこし風通しが良く感じられ、なまああたかい開放感を感じる。
(八月八日、新宿、靖国通り、大ガード付近、午後六時四十分頃。http://www008.upp.so-net.ne.jp/wildlife/yuugata.html)