●『ウルトラヘヴン』(小池圭一)というマンガがすごいと教えてもらったので読んでみたらすごかった。マンガに限らず、あらゆる「ドラッグ(または瞑想)によるトリップ」を表現した表現物のなかで最もヤバい、と聞いたのだけど、本当にヤバかった。2001年からはじまった作品なのに、現在まで単行本で三巻までしか出ていないのだけど(未完・継続中)、それも納得してしまう密度。
たんにトリップ描写がヤバいというだけでなく、時間、空間、主観と客観の境界など、存在すること(あるいは「現実」)を支えている基盤となるようなものがなし崩しに崩れていく感じの描出がリアルで、とても怖くて、フィジカルな(感覚的な)方向から攻めてくるボルヘスみたいな感じでもある。
ただ、ひたすら「現実」が崩壊してゆく様がリアルでヤバいという一、二巻に比べると、共同化された幻想の世界に入ってゆく三巻の話は、ぼくとしてはやや退屈に感じられてしまった(完全にバーチャル化された空間に入り込んで行われるオンラインゲームの世界を描いたアニメ、とあまり違わない感じに思えてしまった、いや、細部の感触はかなり違うのだけど、作品世界の構造として…)。
あと、別の人から『ムシヌユン』(都留泰作)というのがすごいと聞いて読んだら、これもすごかった。最近、単行本の一巻目が出たばかり。このマンガを描いている人は文化人類学者でもあるというので、「マッドメン」みたいな感じなのかと予測したのだけど、一巻目をみる限り文化人類学とはあまり関係ない感じだった(いや、実はこれこそが「人類学」なのか?)。
雑多で混濁しているとさえ言える豊穣なイメージ群が、割合と単純な感情(劣等感と性欲)の力によって無理やり繋ぎ合わされている感じで、そのイメージの混濁具合は、楳図かずおの「14歳」を想起させるほどに常軌を逸した感じ。密度の濃い雑多なイメージが充満し繁茂する、ねっとりして空気抵抗が極めて大きい空間を、劣等感と性欲を燃料としたエンジンの強い推進力によって、単線的に突っ切って行く。男性主義的な表現を使えば、雑多で収拾のつかないイメージ群を、ぎんぎんに勃起したチンコが刺し貫いているという感じで、(「14歳」+「鉄男」)@南の島、という感じか。
混濁したイメージの密度(多)と、単線的な運動のドライブ感(一)とを、強引な力技で両立させていて、この「勢い」がどこまで持続するのだろうかというのが、期待でもあり、不安でもある。
(ここまで書いてから、ウィキペディアの「都留泰作」をみてみたら、1968年生まれと書いてあって、一つしか歳が違わないことに驚いた。四十代後半でこれが描けるって、かなりすごい。で、小池圭一は1960年生まれなのだった。ぼくももっとがんばらないとな…、と思った。)