●今月のはじめ頃からちょっとずつ書いていた、(ボツにならなければ)ぼくが今まで雑誌に書いたなかで最も長いものとなるエッセイ(といっても、三十枚弱なのだけど)が、とりあえず最後まで書けた。このエッセイは、全体の構成などまったく考えずに、書き出しにあたるとっかかりの部分だけ決まったところから書き始め、ひとまとまりが書けてから、次の展開を考えるというやり方を徹底してやって、最後まで行き当たりばったりで、どのように展開し、どのように締められるが分らないまま(途中に別の原稿とかも挟みつつ)、少しずつ書いていたのだった。最初にあったフレームは、だいたいの枚数と、二人の「小説家」について書いていて、その二人をどこかで交錯させなければいけない、ということだけだった。(枚数については後から調整するつもりで、書いている時点ではどのくらいの分量になったか分らないように設定して書いたし、どのように二人が交錯するのかも、その箇所に行き着くまで分らないままだった。そして、その書いた対象となった小説も、読み終わってから書くのではなく、常に読みながらという状態で書いた。勿論、書く前に一度は、というか何度かは、通読してはいるけど。)
文章を書くことについてはあくまで素人なので、雑誌の依頼には、質がどうこうという以前に、特定の枚数を締め切りまでに埋める事が出来るのか、という低次元でのプレッシャーがまずあって、どうしても今までは、書きながら、途中の早い段階で、まとめ方というか、落としどころを考えてそこに当てはめてしまう傾向があったのだが、今回はじめて、最後まで、今書いている部分とそのすぐ次の展開だけを考えて書いて、このエッセイが、どのような筋道を通って、どこへ行き着くのか、先の見えない状態を保ったままで最後まで書き進めることが出来たのだった。それが可能だったのは、依頼から締め切りまで時間の余裕が割とあったことと、対象となる「小説家」を、以前から良く読んで親しんでいたからなのだけど。(つまり、書く前にまず「読み終えなくてはいけない」という感じではなかったので。)あと、ある程度まとまった枚数なので、急いで落としどころをみつける必要がなかった、ということもあるだろう。そういう風に書けたことと、そのテキストにそのように書いた必然性が宿っているのかどうかということは、また別の話ではあるけど。