●小説を書いたことについて、もうちょっとだけ。あんまりこういうことは書かない方が良いとは思うのだが、書かないと気が済まない感じがあるので、できるだけ簡潔に。
ぼくは94、5年ころに、原稿用紙にして100枚くらいの小説を二つ書いた。でもそれは自分が納得できるものとは程遠くて、つまり、小説を実際に書いてみることで「自分には小説は書けない」という事実を突き付けられたという感じだった。それはすごく大きなトラウマとなった。その後、ぼくの「何かを書きたい」という気持ちはこの「偽日記」というかたちになるのだが、それでも小説を書いてみたいという思いはずっとあった。
だけどトラウマは大きく、少なくとも前に書いた形とはまったく違ったやり方(方法とかいうことではなく、入り方というか触れ方というか)が見つけられなければ、またきっと同じ結果になるという感じが抜けなかった。要するに「書けそうな気」がまったくしないのだ。そのような状態のまま、今度は別方向からの抑圧がやってくる。小説家と知り合いになったり、小説の評論を書いたり、文芸誌とかにかかわるようになったりして、こうなると気楽な感じで「ちょっと書いてみました」という風にはいかなくなってくる。小説家ってすごいよな、という思いとともに、小説への畏れがどんどん大きくなる。ハードルがどんどん上がってしまう。やるとしたらよほど覚悟を決めてやらないと、という風に。
そこへ小説を書かないかという誘いがきた。最初は、コミック誌の欄外という例外的な場所で、しかも短いものだったので、半分は遊びでという感じで自分を騙して抑圧を解いた。それを「書いてしまった」ことは大きかったと思う。
次に文芸誌で30枚くらいの短編を書かないかと依頼された。すごく迷った。それは自分がするべきことなのか、自分がそれをするというのは小説をバカにすることにならないか、というかそもそも、それが自分にできるのか、と。じっさい、何の準備もアイデアも「書けそうな気」もない。でも、ここでやらなかったら、多分、一生小説を書くという機会はやってこないのではないかと思って、目を閉じて高いところから飛び降りるような感じでやることにした。
たかだか30枚の短編一つで何を大げさなと笑われると思うけど、そのくらい大きな抑圧(小説への畏れ)がかかっているのだ。とにかく、書くことそのものよりも、自分自身で自分にかけている抑圧と戦うことがすごく大変だった。毎日、パソコンの前に座るのが嫌で嫌で仕方なかった。書けそうな感じもまったくなくて、唯一あったのは、偽日記に書いたある日の夢の記述で、そこから出発すれば、もう少し先にまではいけそうだ、という感じだけだった。そこから、一行ずつ、一行ずつ、手さぐりで足してゆく感じで書いたけど、書いていることに自信ももてず、最後までたどり着ける感じも全然なかった。砂を一粒ずつ拾っている感じで、こんな作業に終わりがくるのか、みたいな。実際、依頼(約束)と締切がなかったら、最後まで行けずに途中で逃げていたと思う。でも、すっごく苦しかったけど、すっごく面白かった。書いていて面白いのと、書かれたものが面白いのとは別ではあるけど、書くことそのものはすごく面白かった。
出来の良し悪しはともかく、最後までたどり着けたということが、ぼくにとっては奇跡のように思われた。