『コードギアス 反逆のルルーシュ』を4話まで

●『コードギアス 反逆のルルーシュ』を4話までDVDで。まだ、物語がたちあがったばかりのところまでしか観ていないので何とも言えないけど、あまり面白くなりそうな感じはなかった。「エヴァ」以降の(セカイ系というより、榎戸洋司的な、と言うべき)、登場人物の「心理」が、世界全体よりも重くて、心理の重さによって世界が歪んでしまうというような作品とは確かに違って、登場人物が、ある「強いられた(与えられた)状況」の枠組みのなかで「どう動くか」っていうようなお話になっている。でもそれは、たんに登場人物から「内面」が剥奪されて、物語の構造に都合良く奉仕する薄っぺらな駒に過ぎないものに縮減されているというだけのように思われる。つまり、心理主義から物語主義へとシフトしただけで、それが特に新しいとかいうことはないように感じられた。お話自体も、典型的な貴種流離潭に、9・11以降の世界の風味を付け足しただけのようにみえる。(ポスト・セカイ系としては、米澤穂信の方がずっと面白いと思う。)
榎戸洋司的な登場人物が、全能感と無力感とに引き裂かれ、ウジウジと悩むのに対し、このお話の登場人物は、たまたま自分に与えられた能力を行使すること(それによって他人を殺してしまうこと)に、何の躊躇も感じていないし悩みもしない。当然の権利のごとくそれを使う。日常的な空間では、適度に環境に順応した良い子を演じ、ことさら妹に対しては優しい兄であるのだが、裏の顔(戦争の場面)では、他者をチェスの駒のように扱い、それによって人が死ぬことを何とも思っていない。(こう書いてみると確かに『デス・ノート』に似ている。ぼくは映画版しか知らないけど。)このような、ひたすら構造に従順な(内面的葛藤を欠いた)主人公の不気味な平板さは、ある意味で神話的な人物のようでさえある。今後この作品が、作品の構造として「神話的な強度」へと向かうのだとすれば、面白くなるのかもしれない。(「エヴァ」の本当に凄いところも、実はシンジ君がウジウジしているところにあるのではなく、母-子の間の、対象関係における愛憎の壮絶さを神話的な手触りにまで昇華-退行して描き出した点にあると思う。だからこそ人はそこにハマってしまうのだと思う。それは悪夢のようにリアルなのだ。)まあ、もう少しつづきを観てみようとは思う。
(この文章は、話題になっている「SFマガジン」の批評を立ち読みした感想でもある。)