08/01/24

●『ユメ十夜』をDVDで。(必要があって、清水崇のパートを観るため。)ぜんぜん面白くない映画だった。でも、こういう企画もののオムニバスは、かえって(作品としての出来不出来とはまた別に)、それぞれの映画作家が、普段どんなことを考えているかとか、その資質がどんなだとかが、無防備に露呈されてしまうものなのだなあと感じ、その興味から最後まで観られた。そのような意味で、山下敦弘はきっと面白い人なのだろうなあと思ったし、西川美和はきっとつまらない人なのだろうなあとも思った。最後の、山口雄大のパートは面白かった。
(『ユメ十夜』は割とだらっと観ていたのだけど、人のことを「つまらない」と言うからには責任があると思って、ここを書いてからもう一度集中して西川美和のパートを観直したのだけど、きっちりとした丁寧な仕事ではあると思うものの、やはりまったく面白くなかった。ついでに山下敦弘のパートも観直してみたら、やたらと面白くて、つづけて二回観てしまった。すくなくとも前半は傑作と言ってもいいんじゃないかとさえ思った。この監督には、あるドラマがあってそれを「外す」んじゃなくて、リアルな描写のもつシュールさみたいなものだけで一本もたせるような映画をぜひつくってほしいと思った。最初の方の田んぼの短いシーンだけで、四人いる男の子たちの関係性とキャラクターをみごとに描きだす描写力と、にも関わらずそれはそのシーンだけのことで、四人の関係はその後はどうでもよくなってしまう理不尽な展開。しかしだからこそ、その描写によって浮かび上がったものの感触そのものが、宙に浮いたまま解決せずに持続する。この作品がたんなる不条理コントと違うところは、この監督の卓越した描写の力による。西川美和の丁寧さは、きっちり型にはめこんでゆく丁寧さなのだけど、山下敦弘の描写は、型からじわじわとはみ出てくるものこそを捉える。展開の理不尽さと意外性でぐいぐい押してくる山口雄大の作品とはちがって、山下敦弘の作品は、描写によって生まれて宙に浮いた感触が、展開に乗り遅れたまま残留し、それらが相互に浸食しつつも積み重なってゆくかのようだ。)
●『天元突破グレンラガン』の1、2話をDVDで。あまりに下らなくて、あまりにバカなので、けっこう笑えた。(つづきを観ようとは思わないけど。)「少年ジャンプ」的王道まっしぐら、みたいな。ただ、アニメが、90年代の過度に内面化され屈折した世界から抜け出たとして、その先が、このようなあまりに素朴で単純な男性原理の礼賛に行き着く(回帰する)のだとしたら、それはどうなんだろうと思う。(絵柄にしても、ロボットなどのデザインにしても、演出にしても、あくまで分かりやすくお子様向けに徹していて、それ以上のことははじめからまったく考えていない、というだけなのだろうけど。)