●歩いていて、自分の前側にひろがる空間は、目で見ることが出来るから大きな広がりとして感じられるが、それに比べ、後ろ側に感じている空間はどうしても小さくなる。後ろから聞こえる音に意識的に注目することと、それまで歩いて来た記憶(今、後ろ側に広がっているのは、それまで通り過ぎてきた場所であるはずなので)を、前に見えている空間と同じくらいの強さでイメージするようにこころがけることで、自分の身体を中心にして、波紋のように同心円状にひろがる空間をイメージしながら歩こうと思ったのだが、なかなか上手くいかなかった。(例えば、前から来た自転車とすれ違った時、それからずっと後方へと進んで行く自転車の音を意識して聞きながら、それまで歩いてきた空間を自転車が進みつつ遠ざかってゆくのをイメージして、それによって空間のイメージを広げて行く、とか。)目だけではなく、耳(耳たぶ)もまた、前からくる音の方をよりよく拾うような構造になっているし、大きな音があると他の音がかき消されてしまう。あるいは、同心円状にひろがる空間こというイメージがよくないのかもしれない。餅のように、前後左右、あるいは上下にべろーっと伸びるような空間とか、そういうイメージの方が良いのかも。
●住んでいるアパートから歩いて3、40分のところに大きな敷地の少年院があって、少年院だから高い塀と鉄条網に囲まれていて中には入れないのだけど、その高い塀よりもずっと背の高い巨木がたくさん生えているのがその外の道からも見える。そのなかに、おそらく四階建ての建物よりも高いと思われるほどに背の高い柿の木がある。柿の木は、どうしても普通の民家の庭にあるイメージがあって、そんなに大きく育つとは、その木を見るまで思ってもみなかった。ぼくは柿の木の枝の形や伸び方、葉のつき方がとても好きで、小さな庭木でも、いちいち立ち止まって眺めてしまうくらいなので、巨大な柿の木には見惚れてしまうのだが、今、枝を横にも大きくひろげたその木にものすごい数のオレンジ色の実がびっしりとついていて、その数は半端ではなく、それはほんとにすごい光景で、もっと近寄って、真下まで行って見たくて仕方がない。