尾道へ。新幹線に四時間半以上乗ることになるので、さすがに窓の外ばかり見ているのも飽きるだろうと思って本を持って行ったのだけど、けっきょく本は開かれることなく、外の景色をずっと見ていた。
●レクチャーは、一部でぼくが話をして、二部では地元のディープなスポット(普通に観光で来たら行けないようなところ)を巡り、三部で、地元で美術に関わっている人たちや作家や学生と話した。午後三時から六時という予定だったけど、終わったのは九時を過ぎていた。その後飲みに行って、宿にもどったのは午前一時半くらい。
尾道はリアル・アラカワだという話を硨島伸彦さんから事前に聞いていたけど、山側の土地はまさにリアル・アラカワ(あるいは、ナチュラル・アラカワ)だった。海と山が平行してあって、道路も線路もそれに沿って平行しているから、方角を見失うことはないのだが、平衡を見失う。山の斜面に無理な姿勢で建っている建物と、その間を網の目のようにはしる路地(というより、建物と建物の隙間というべきか、人の家の敷地のなかを通っているとしか思えないところもある)を通っているとき、まず水平な地面というものがどこにもないので、垂直を保とうとするからだは常に不自然な姿勢を強いられ、いつも筋肉のへんなところに力が入っていて、三半規管が酷使される。さらに、斜面に折り重なる建物と、高低差が激しい上にうねうね蛇行する路地は、平行をとろうとする視覚を常に混乱させる。急な坂の上り下りは普通に過酷でもある。
古い空き家をリノベーョンして作品の展示スペースにしているようなところは建物の内部にも入れるのだが、狭い傾斜地に建っている建物の内側は外観以上に複雑で(要するに無理な設計をしていて)、階段の位置や幅や角度、部屋の配置が捻じれていて、おまけに、古い建物なので玄関の三和土が傾斜していたり、窓枠が微妙に歪んでいたり、視覚的にももさらに混乱させられる。床が抜けそうにギシギシ不安定だったりするところもアラカワっぽい。
傾斜地に建物が建つ場合は多かれ少なかれそんな感じになることは避けられないと思うけど、それにしても尾道の入り組み方はちょっと他にはないんじゃないかというレベルになっている。へんなたとえだけど、ゴールデン街のような入り組み方で、しかもさらに、上下軸と左右軸のそれぞれにズレとねじれが加えられた感じ。九龍城のようなイメージとも言える。だがそれは完全に人工的なものではなく、地形に合わせてつくられた結果として(そして、長い時間の積み重ねとして)そうなったということなのだ。だから、それでいて海の方を向くと見晴らしが開けていて、きもちのよい風が通っている。入り組んでほどけなくなった糸のように歪んだ空間に、澄んだ光と風が開放的に通り抜けてゆく。
印象としては、人間の頭の外の構造(環境・地形)と頭の内の構造とが、分かちがたく結びついて、それがもうどうやっても解けないほどに絡み合ってしまっている感じ。だからある意味、都市空間よりもさらに、人の頭の構造のなかを歩いているような感じにもなってくる。しかしそれと同時に、自然の光と風が開放的に通っているので淀んだ感じがしない。こういう空間が自然発生的にでき上がって、それが維持されているというのはちょっとすごいことだと思う。
尾道の山側には寺がいっぱいある。だから、入り組んだ空間のあちこちに墓地があらわれる。高い塀のようなもので隠されていなくて、いきなり目の前にあらわれる。真新しい墓石と、刻まれた文字が読めない程にすり減って丸くなった墓石が混在しているのがいい感じ。イベントで一緒に歩いていた女性の一人(大学で尾道に来て、そのまま居ついたという)が、「尾道に来てから墓地が怖くなくなった」と言っていたのが印象に残った。
●何人かの若い作家のポートフォリオを見せてもらったのだが、すごく面白いことをやっている人がいて刺激になった。