●今日は歩いた。散歩というよりも、ただひたすら「歩く」という感じで歩いた。何時間も歩いた末にたどり着いたのは、高尾山の登山口だった。そこを終点とすることにした。そこからは電車に乗って引き返した。京王線高尾山口駅から高尾駅まで、電車はずっと川沿いをはしる。一両に一人か二人しか乗客のいない高架上の電車から川を見下ろす。電車のなかから自分が歩いてきた道をたどり返す。あの道を歩いた。あの木の前で写真を撮った。あの路地には入っていかなかった。
高尾山は観光地だが、高尾は普通に人が生活する圏内だ。高尾駅に着く。京王線からJR中央線への連絡通路は閑散としていたが、乗り換え用の改札を抜けると人の密度が急激に増し、人が生息する圧力と生々しさに気圧される。今までの時間がそこで終わってしまったと感じる。中央線は八王子では地面をはしる。西八王子駅で降りて、買い物をして部屋に戻る。
●歩き始めて、三時間以上にもなり、そろそろ軽く疲労を感じ始めるという頃に、今まで通ったことのないところに行き当たると、散歩ハイのような状態になり、見えているもののことごとくが異様なまでに新鮮に感じられるようになる。高尾駅にたどり着いたところで引き返そうと思っていたのに、その状態に背中を押されるように高尾山まで歩いてしまった。高尾駅周辺は駅から五分も歩くと、山奥の温泉地のようなたたずまいになる。山のふもとに沿って流れる川、その川に沿ってつづく道。橋の上で世間話をしている二人のおばあさん。道ばたにベンチを出して、そこに座ってうちわで自分を扇いでいるおじいさん。
古い木造校舎のような建物があって、そちらから子どもたちの声が聞こえてくる。近づいてみると声はその隣にある保育園からのもので、木造の建物には「交通安全協会」という看板があり、今もそのまま利用されているようだった。山へと向かって軽く登ってゆく細い路地に入ってゆくと、路地の狭さに不釣り合いな、工場と倉庫と社屋とが一緒になったような年季のはいった建物が敷地から溢れるように建っていて、作業着姿で、耳にペンを挟んでバインダーを手にもったおっちゃんが、ぼくの方を不審そうに見た。その建物の敷地と前の路地との境界線上の、どちらとも言えないところから大きな木が生えていて、一方は建物と一体化するかのように絡みつき、もう一方は路地に覆い被さるように枝を伸ばしていた。
鮮やかな水色の花をもつ朝顔が塀の内側から道路の方へと零れるように顔を出していた。空は今にも雨が落ちてきそうに曇っていて、周囲の色彩がグレーのトーンに押さえられているなか、その水色は別の次元から滲み出してきているかのようで動揺した。さらに、その庭には大きな柿の木があり、その木にも朝顔のツルが巻き付いていて、オレンジ色の実をつけているその同じ木から、黄緑色の葉が生え、鮮やかな水色の花が咲いているように見えるのだった。
●住んでいるところの近所は、いくつもの丘が重なっているような場所で、とにかく平坦なところがほとんど無い。道は常に、上っているか下っているかで、さらに、左に傾いているか、右に傾いているかしている。いきなり急な階段がよくある。道路も、まっすぐに進んでいるところが少なくて、たいていどちらかにカーブしていてそれ以上先が見通せない。だから、道と道とが交差するところも、きちんと九十度では交わらない。四つ角ではなく三叉路が多い、私道のなか公道なのか分からない入り組んだ細い路地が多い。行き止まりも多い。必然的に土地に無駄が多く、一件の家の敷地が妙にゆがんだ形をしている。死んだスペースのような、使いようのない空き地がけっこうある。高低差を調整するために、いたるところに土が垂直面として露呈している。それは高い崖だったり、ほんの数十センチのものだったりする。昔からの集落と、新しく造成された地区と、林がそのまま残っているところと、畑とが、まだらに混在している。
こういうところを歩いている時の感覚を、どう言葉にすればよいのか。言葉にするという以前に、散歩から帰ってくると、もう、そこを歩いている時の感覚を正確には思い出せない。そのごく一部の感触がかろうじて残っているだけだ。毎日のように歩いているので、近所を歩く時には、ぼくはおそらく、風景さえまともに見てはいない。空間を移動する時の、身体の軸の変化やブレを、そして空気や湿度の変化だけを感じているのかもしれない。そしてその多くは、意識することよりも手前にある。