●水平線はそれほど遠くはない。海は、彼方までの広がりよりも、目に見える範囲の狭さを感じさせる。それは行き止まりという感覚を生む。むしろ、ずっと先まで延びている海岸線と砂浜の方が圧迫感なく視線を遠くへと誘い、遠さや広がりの感覚につながる。
目の前には惑星規模での大量の水があり、これより先へは進めない。水の量は恐怖を惹起する。大きな川の水面を橋の上から見るとその水量を感じて足がすくんでしまうので、下は見ないように橋をわたり切ることにしている。でも、海ではあまりに量が多すぎるので量感が消えてしまう。青の平面となった水ではあるが、その奥底に大きなうねりを宿している気配は濃厚にある。それは実感を伴う恐怖として焦点を結ぶことなく、タガの外れたとりとめのなさ、常に何かがこぼれ落ちつづけ、中味が空っぽになってもさらにこぼれ続けて果てることがないというイメージとなり、それは、はっきり像を結ぶ恐怖よりもより恐ろしい。
背後には平坦な土地がひろがる。県を南北に横切る時、電車は一時間にわたってひたすら平坦で単調な土地をすすんでゆく。目の前にある海はその平坦な土地の終点でもあって、平坦さだけが水面へと引き継がれ、ここから先はアメリカまで水しかない。ここで進路がせき止められることによって、背中の側に得体のしれない空間が広がる。背中の側が不安になるというか、心許ない感じになる。この、背後の心許なさのなかに地元がある。