●半年くらい前からだと思うけど、今住んでる部屋に引っ越してきてからずっと寝ていた方向と逆の向きで寝るようになった。それまで、本棚の方に頭を向けて寝ていたのだが、大きめの地震が何度かつづき、本棚から本が落下してくるという経験をして以来、そこで寝ることに恐怖を感じるようになったのだ。かといって、いまの部屋で、そこ以外に寝られる場所はない(アトリエスペースで寝袋で寝るとかすれば別だが)。なので、とにかく、頭だけは本棚から遠ざけようと、向きを逆にしたのだった(北枕なのだが…)。
向きを逆にして半年くらいは経つと思うのだが、まだ今でも、目覚めた時に自分のいる位置が分からない。自分の部屋で目覚めたということは分かるのだが、どちらが玄関で、どちらが流しで、という方角が、起きた瞬間にはわからないのだ。それと、目が覚めて、目を開いた瞬間に最初に見えているものが何であるのかが分からない。こういう混乱は、例えば旅行などに行って初めて泊まる部屋で目覚めても起こらない。つまり、馴染んだ空間で、今まで馴染んでいたのと逆向きに寝る、ということで起こることなのだ。それはおそらく、物理的な身体と、その空間に住み着いている身体感覚とは、必ずしも一致していないということなのだと思う。目が覚めた時に当然見えているべきだと刷り込まれているものとは別の視覚像が、まだ意識のはっきりしていない状態で与えられるから、起きた時に向いている方向がわからず、その方向の混乱は、今、からだの右側面を下にして目覚めたのか、左側面をしたにして目覚めたのかということさえ混乱させるのだった。この混乱は毎朝起こる。そして、ちょっと楽しい。
●そのことと関係あるのかないのか分からないが、ベケットの『モロイ』から引用。
《それにまた、ふたたび眠気に襲われた頭に浮かんだことなのだが、私の夜には月はなかったし、そこでは、私の夜では、月は関係なかったのだから、窓をよぎって動いていったのを見たばかりのあの月も、そして私にほかの月のことを思わせたあの月も、私は一度も見たこともなかったのだし、私はそのとき自分がだれだか忘れてしまっていたのであって(それもむりがなかったではないか)、まるで他人のことのように、私のことをしゃべってしまったわけだ。そう、私にはそんなことがよくある。これからも自分がだれだか忘れて、まるで見知らぬ人のように、自分の前を歩き回ることがまた起こるかもしれない。そうしたときには、空はいつもの空と違い、大地も偽りの色どりをまとう。それは休息のように見える。だが全然違う。私はすっかり満足してほかの人間たちの光のなかへすべり込む、かつて私のものだった光のなかへ。》