●油絵の具を用いた、油絵の具でしか実現出来ないものでありながら(その精度をもちながら)、その構築の原理、思考の形態、イメージ発生のメカニズムは、決して油絵の具に依っていない、というような絵をつくることができるだろうか。油絵の具によって考えるのではなく、まったく別の原理で思考されたことが、結果として、ジャストミートに油絵の具(油絵)という出力の形態をもつ、というような。
その「別の原理」とは決して言語のことではない。例えば、言語を用いないで行われた(言語とは別の場で動く)思考が、いきなり言語によって出力される、というような小説はあり得ないないだろうか、というようなこと。非言語的な次元での感覚-イメージの連鎖が、媒介をもたず直接的に言語の連鎖へと変換-翻訳される(説明されたり、描写されたりするのではなく)。それは言語としてしかあらわれない(言語によってしか姿をあらわすことのない)何かであるが、そこでは「言語」が問題なのではまったくない。これが可能であるとすれば、そこではシュールレアリスム精神分析とは真逆のことが行われているということになろう。
(シニフィアンの連鎖の影響下にない思考-肉の波動が、ディスクールの流れとの接点をもたずに、いきなり他者の場へと転送されメッセージとなる、というような。)