●祖母のお見舞いのために実家に帰った。祖母は、自分が育った実家の近くが見下ろせる高台にある病院に転院していた。病院に着いて、エレベーターで三階に行くと、遠くに、祖母らしい人が車いすにちょこんと座っているのが見えた。ちょうどこれから、リハビリのための習字教室があって、そこに向かうところだそうで、見学させてもらうことにした。定期的に先生がボランティアで来ているとのこと。最初、祖母はぼくのことが誰か分からないようだったが、しばらくして、おお、としひろか、今日は休みなのか、と言ったので、思い出したようだ。
祖母は、こんなことはやったことがないからと最初は躊躇していたが、おそるおそるという感じではじめて、そのうちに筆も動くようになった。とはいえ、熱中するというより、こんなことはちゃっちゃと終わらせよう、という感じではあったが。その結果、じゃあ、もう一枚書きましょうね、と、次々に半紙を置かれ、結果としてたくさん字を書くことになった。
祖母が字を書くのを見て思ったのは、左から右へと線をひく時は滑らかにゆくのだが、右から左へ、あるいは右下から左上へと向かう線をひく時に、ちょっと苦しそうな感じで、筆が一瞬躊躇して、形がくちゃっと歪む感じだった。まあ、右手で字を書く(線をひく)かぎり、誰にとってもこの動きはむつかしいのだが。祖母は、脳梗塞で左半身か麻痺しているので、(動く方の右手でも)左側の空間を把握し、そのなかで行為するのが難しいんじゃないかと感じた。苦しそうに筆の動きが躊躇するのを見ると、当然捉えられるはずのものが捉えられない、なぜだかわからないがそこから先が認識のブランクに突然なってしまう、というようなもどかしさを、その動きのなかに、その動きのたびに、すごく感じた。
先生のお手本を見ながら書くのだが、形をなぞるというのではなく、文字を書くという感じで書いていたので、字はちゃんと記憶していて、当然それを出力出来るという感覚で書き始めているのだろうが、それがあるところにくると、出力に突然困難が生じてしまって、そのことへの戸惑いと、当然届くと思っていたかゆいところに何故か手が届かなくなったようなもどかしさが、一瞬の筆の躊躇からすごく伝わってくるので、見ているこちらとしても息苦しくなるような感じだった。
ただ字を書くということが、こんなにも空間の認知とかかわる、空間の内部での「運動」と言えるようなものなのだなあと、改めてすごく感じた。文字という記号それ自体は、あるいは記号の組み立て自体は、フィジカルなものと切り離して操作可能なのだが、その記号を成立させるための基底となるものは、あくまでフィジカルな能力なのだ、と。字を書くということが、基本的には「線をひく」ということであること、つまり「からだを動かす」ということであること。そして、線というものが、すごく直接的に(単純に動きだけではなく)フィジカルなものを伝えるということ。
手書きで書かれた原稿を読むことが、整えられたフォントが並んだ原稿を読むことに比べて著しく負荷が大きくなるのは、たんに視覚的に読みにくいということではなく、そこからあまりに多くのことが伝わって来てしまうので、それをかき分けて記号の意味にまで到達するのが難しいからではないだろうか。ものすごい騒音のなかで誰かの話を聞いているような。
●高台にある病院の、窓が大きく開かれた談話室からは、祖母が生まれてから奉公に出されるまで育った実家のあたりが見下ろせる。祖母の実家そのものは、大きな木が生えている林に隠されてしまっているのだが、祖母の話にしばしば出てきた(さんざんそこで働かされたという)山の畑の辺りがよく見える。しかし、窓は大きく開かれているけど位置がやや高くて、背の低い祖母が車いすに乗った状態では、空くらいしか見えない。両親の目下の課題は、この談話室での祖母の視点を、あと15から20センチくらい高くするにはどうすればよいか、ということだった。
●今日はすっかり夏だった。1日半袖のシャツで過ごした。実家から戻って、駅からアパートまでの道を歩いている時、夏の夜のもわっとしたけだるさを感じた。