●お知らせ。東京新聞の明日(4日)の夕刊に、水道橋にあるアップフィールドギャラリー(http://www.upfield-gallery.jp/)でやっている「ながめる まなざす」展のDIVISION-2で展示される山方伸さんの作品について書いた記事が掲載されるはずです。山方さんと村越としやさんの作品が展示されるDIVISION-2も、4日からはじまります。
あと、武蔵野美術大学のイメージライブラリーのHP(http://img-lib.musabi.ac.jp/)が、六月から、学外からもアクセス出来るようなっていて、それに、諏訪敦彦『2/デュオ』について書いた文章が載っています(http://img-lib.musabi.ac.jp/publication/publication_04.html)。
●今日も昨日につづいてすばらしい天気。こういう日は、出来る限りの用事を後回しにして、ひたすら「この天気のなか」にいるべき。八時ころに部屋を出て、ひたすら「この天気」をからだ全体で受け取るために、昼過ぎまで外をうろうろしていた。もはや散歩ですらなく、ただ漂っているような感じ。川原に、先生に引率された、黄色とオレンジの帽子を被った4、5歳くらいの子供の集団がいて、ぎゃーぎゃー騒いだり走りまわったりしていて、それを見て、ぼくにはもう、こいつらくらいの強さと濃さと深さとで「この天気」に触れる(「この天気」を受けとめる、貫かれる)だけの体力はないのだなあと思った。(子供の走り方はすごく不格好で不安定で、しかしすごく柔軟でもあり、それを模倣しようとしてみても、ああいう風に重力と関係するには、ぼくのからだはあまりに硬すぎる。)
昼にいったん部屋に戻り、三時ころにまた外へ出た。部屋にいても外のことばかり気になるから。とはいえ、午前中歩き過ぎてさすがに疲れていたので、歩き回ることはせずに、近くにある富士森公園の木陰になるベンチに座って、気持ち悪いほどに湧き出すように茂っている緑と、そこに当たる光、それを揺らす風を見て、からだに受けていた。ウチの近所では、かなり多くの種類の鳥の声が聞かれその姿が見られるのだが、どの声がどの鳥なのかが分からない。鳥の声と姿とは、常にバラバラに別々のものとしてぼくのもとへとやってくる。公園のなかにある八王子市営球場では、野球大会の開会式のリハーサルが行われていて、同じ音楽や同じアナウンスが、途切れては、繰り返し、聞こえてきいてた。高台にあるベンチに移動すると、その様子を見下ろすことができる。
身なりも粗末で、みるからに孤独そうで、他に行くところがどこにもなくて、ただもてあます時間をやり過ごすためだけにここにいる、という感じの老人が、何人か公園にはいた。それはぼくの三、四十年後の姿だと思った。しかし、そもそも、今、ここにこうしている自分が、既にこの老人たちとほとんど同じなんじゃんと気づいた。なんだ、同じなのか、と。だったら、そんなの全然怖くないし、将来を怖れる必要もないと思った。毎日、こんなに天気が良いわけではないとしても。