●天気予報では夕方からすこし天気が崩れると言っていて、でも午前中はまだ「この天気」が持続するみたいなので、また朝方からふらふら出かける。わりと近くに多摩御陵という大正天皇昭和天皇の墓地があって、その参道の欅並木がすごいのでたまに見に行く。おそらく、表参道のやつよりすごいと思う。木の大きさ自体がどでかいだけでなく、通りの規模がちっちゃい分、ぎゅっと凝縮されていて、木と木の間隔が狭く、生育環境もよいので、この時期ではもう葉がみっしりとついている。道の両側から覆い被さる欅の葉で、空はほとんど隠され、その無数にひしめく欅の葉がそれぞれ均一ではなく風を受けて擦れざざーっという音を降らし、空を覆う遮蔽幕がゆらゆら揺れ、まだらに漏れてくる光の濃度がかわる。ぽかーんと口を開けて上を見ながら歩く。
二十年以上八王子に住んでいるけど、多摩御陵の入り口から先は入ったことがなかった。入り口の脇に派出所があったり、いきなりどーんと広い空間がひろがっていたりして、入ってくるなオーラがあって、なんとなく「そっち側」は敬遠していた。でも、今日は、入り口のところまで行って引き返そうとしてら、短パンによれよれのTシャツおっさんが、手ぬぐいで汗を拭きながらだらーっという感じで入ってゆき、つづいて、登山服姿の初老の男女が、登山コースの一部であるかのようにするーっと入っていったので、なんとなく引き込まれるようにして、ふらっと中に入った。
細かい砂利が敷き詰められ、前も後ろも見通しがきかないような案配で蛇行する道がつづく(だから、先に行った人や後からくる人の姿は見えず、自分一人だけがここにいるかのようだった)。一歩進むたびに砂利が音をたてるので、自分がこの場所に「侵入している」ことが常に意識される。道の両脇に、まっすぐに上に向かって延びた大きな杉の木が等間隔に並んでいるのだが、この杉が、人工物であるかのように、どれもまったく同じような円錐形にきれいに整えられていた。その杉より奥は、割りと手つかずの感じの原生林がひろがっている感じ。異様な圧迫されるような感じだった。確かに外とは切り離されているからすごく静かだし、「澄んだ」感じがするのだが、それは、光を強く反射する砂利と、同じ形が単調につづく杉並木によって、視覚的なノイズがカットされているからだろう。ある種の単調さと、それを単調とは言わせないような巨木の威圧性が、ピンと張りつめたような空気感をかもし出し、この光景に無理矢理に目を見開かされる感じ。クリアーに目のなかにねじ込まれてくる杉の葉の一塊のそれぞれが、無数の匿名の見下ろす視線のようにも感じられる。入り口から御陵までは実際にはたいした距離ではない(帰り道ははやかった)のだが、前後が見えない不安もあって、ずいぶんと奥まで進んだような気がした。
実際、これはあまり好きな感じじゃないし、途中で引き返そうかと思って立ち止まっていたのだが、後ろから軽装の女性が一人で、鼻歌でも歌っているかのような軽い足取りでやってきて追い抜いてゆくので、その気軽さに後押しされたように、せっかくここまで来たんだからと、奥にまで進んだのだった。
御陵のまわりは、林のなかにいきなり手入れされた庭園があらわれた、みたいな感じ。途中の道みたいな威圧感はなく、あっさり、こぢんまりしていた。鳥居にはさすがに威圧感があるが、身も蓋もなく「象徴」的である分、松並木の絡みつく圧迫感よりはスパッとした感じ。セザンヌの絵にでてくるような松の木もあった。警官が立っていた。家族連れがいて、子供がわーわー言ってはしりまわっていた。