千葉市美術館で、「瀧口修造マルセル・デュシャン」、国立近代美術館で、「ぬぐ絵画」。
●「瀧口修造マルセル・デュシャン」は予想を超えて充実していた。1923年、「大ガラス」の構想を未完成のまま放棄して以来、死までの四十年以上の間、デュシャンは(「遺作」を除いて)それまでの作品のマルティプルとごくプライベートな小品しか制作しなかった。それは、「大ガラス」の構想メモを複製して一つの箱に納めたもの(「グリーンボックス」)や、自身の主要な作品のすべてをミニチュア化して一つのトランクに納めたもの(「トランクの中の箱」)など、後ろ向きで、縮小傾向にあり、閉ざされたものであるという印象を受ける。しかし一方で、レディ・メイドの作品を気軽に再制作したり、自身の作品の図像の一部を他の作品へと転用したりと、無限定な反復・増殖へと向かう傾向もある。一方で、極私的な、秘匿的な領域への閉じこもりを感じさせ、もう一方で、作品というあり様を消失させてしまいかねない拡散性を感じさせる。秘匿性と拡散性という相容れない両極はしかし、ミニチュア化(それは、作品の私的領域への縮小であると同時に、オリジナルではない複製であり、反復が可能であるという証拠でもある)という操作によって繋がれてもいる。ある時期以降のデュシャンの作品は、親しい友人たちの間でしか流通しないが、しかしその友人たちによって(友人たちがデュシャンの影響を受けることによって)、より拡散的にひろがってゆくことになる。公衆の前に作品を置く(世に問う)のではなく、作品は私的な関係(ネットワーク)のなかで生まれ、そこを通ってひろがってゆく。これは、作品を、具体的なサイズ、具体的な空間、具体的な時代という限定の外に置こうとする身振りとも言える。作品は、いま・ここにあるのではないし、かつて・どこかにあったわけでもない。作品は、「ここ」と指差せる場所にあるのではなく、美術作品と私的なオブジェの間、オリジナルと様々なマルティプルの間のどこだとは指定できないところに漂うように広がっている。おそらく、そのようなひろがり(拡散)のなかでも作品が作品たりえて(デュシャンデュシャンたりえて)いるのは、そこにある「秘密」が宿っているかのように感じられるからだろう(ぼくには晩年のプライベートな小品にこそ生々しくデュシャンの秘密-秘匿性が宿っているように感じられる)。秘密とは、薄さのなかに宿った深さであり、事実の暴露というようなことでは消えない何かだ。
●芸術作品とは一般的には、高度な概念性と、感覚可能な官能性とが結びついたものだと言えるだろう。しかしデュシャンにおいてはそれらは両極に置かれたまま放置されるようだ。例えば「大ガラス」と「遺作」との関係。前者における、欲望を徹底して機械的なメカニズムにまで解体し、それをガラスという暖かさも柔らかさもない素材に書き込む感じと、後者の、薄っぺらでポルノグラフィックな図像をそのまま、「覗く」という行為とともに提示する感じ。概念性と官能性の融合は、そこに人間的な厚みや幅を浮上させるが、このような両極への放置は、両極にあるものが一枚の薄っぺらな紙の裏表に書き込まれているようで、まさに厚みがない。しかし、この表と裏の間の薄っぺらな部分にこそ、デュシャンという秘密が生々しく息づいているのを感じる。おそらく、「大ガラス」は「遺作」との関係においてはじめて「大ガラス」たりえるのだし、「遺作」もまた、「大ガラス」との関係において「遺作」たりえるのだと思う。この裏返しの関係によって、厚みのない場所に深さが生まれる。
この展覧会でも、65年に制作された「大ガラス」の機械のそれぞれの部分を独立して描き出したエッチングと、67年に制作された、様々な絵画などから具象的でエロティックな図像が抜き出されて、(いかにもデュシャン的な)神経質なまでにか細く繊細な描線で描いたエッチングが対比的に展示されている。そして、こちらでもあちらでもないその間に、デュシャンが漂っていることを強く感じさせられる(晩年のデュシャンは、後者にかなり傾いている感じはするけど)。