●お知らせ。七日発売の「新潮」二月号に『一一一一一』(福永信)の書評を、「文藝」2012年春号に『蜩の声』(古井由吉)の書評を書いています。
●近代美術館の「ぬぐ絵画」は、日本近代絵画にもまた、日本近代文学と同型の問題があったということを、「裸婦」(この言葉は梅原龍三郎が流行らせたとのこと)の表象という側面から示そうとしている展覧会。一方に「本場」としてのヨーロッパの動向があり、もう一方に日本の現状がある。「西洋近代」の日本への注入という歴史的な役割を負わされた一部の先鋭的な人(画家)たちが、そのギャップの間でどのように苦労し、どのような工夫をこらし、その結果、国内の「裸婦」の表象とその受容にどのような変化がみられたのか。「油絵」や「裸婦」が最初に導入された明治期から、日本におけるその受容がたんに輸入や啓蒙という範疇を越え、絵画表現として一定の独自性を獲得する(熊谷守一古賀春江など)戦前くらいまでのスパンでそれが示される。
ぼく個人としては、現時点でこのような「日本近代」をめぐる問題にほとんど興味がなくなってしまっているのだけど、日本とヨーロッパの間に明らかに大きな落差があった時代に、両方が見えているその間にいて、その摩擦を一身に受け止めなければならなかった人たちの、緊張と努力の大きさというのはひしひしと伝わってくる。作品としてみれば、「日本近代絵画」はやはり貧しいとぼくは思う。しかしそこには、簡単に貧しいと言って済ますことの出来ない、(現在の美術からはまったく感じられないような種類の)緊張と凄味がはりついている。例えば、ぼくなどからすると、「日本の洋画」の創始者として、敵であり悪の権化のように思われる黒田清輝にしても、展示されているいくつもの作品を観ると、「この人、半端なくがんばってんだなあ」と思ってついつい感情が動いてしまう。梅原龍三郎の留学時代の絵など驚くほどシャープで、「この人も留学していた時にはこんなに緊張していたのか」と心を動かされたりもする。マティスがすごいということを、昭和初期の時点でちゃんと分かっているというだけでも、小出楢重はえらいなあとか。
とはいえ、そこに過剰に感情移入するのは危険だという思いもある。ここにあるのはあくまで近代の問題であって、現代の問題ではない。ぼくにとって、セザンヌマティスはいまもなお現代の問題でありつづけているが、小出樽重や梅原龍三郎はそうとは言えない。例えば、古賀春江の「鳥籠」という作品で、鳥かごのなかの女性の裸と、その右側に描かれた機械とか、交換可能で等価なものとして示されている(と、解説に書かれている)のだが、つい直前に千葉で、まさにエロティックなイメージと機械のイメージを等価にする「本物」であるディシャンの作品を観てきたばかりの目で見ると、そのモンタージュは通り一遍であるように思えてしまう。
そのなかで唯一、いまもなお現代の問題と繋がっているように思えるのが熊谷守一の作品だった。それはおそらく、熊谷が「近代」の問題とはまったく別の方向を向いているからだと思う。同じ油絵具を使っていても、絵の具や色や光に対する態度からして違っているように思われる。本場の美術の流れを踏まえつつも、「日本の洋画」としての独自の表現を模索する、という問題意識とは全然別の方向を向いていると思う。社会と表象形式との間に生じる摩擦や軋轢、その先に目指されるべき落としどころ(社会的に認知される「日本の洋画」)、みたいなことではなく、はじめからその「向こう側」を見ているように思う。
(会場で提示されている解説文はシャープであり分かり易くもあるが、多少違和感があるとすれば、それがあまりに図像的な解釈に偏り過ぎているように思われる点だった。熊谷の「夜」と黒田の「野辺」のポーズが同じだというような指摘とか、ちょっと強引である気がした。)