●これは他人の作品をみる時でも、自分で作品をつくる時でも同じだと思うけど、作品に接する時は、最大限に無防備にそれに接する必要があるんじゃないかと思う。エクスキューズが増えれば増えるほど、人は作品から遠ざかる。というか、作品というのは、人に無防備にそれと接することを強いるなにものかのこと、無防備であることによってしか触れようのない何かを宿すもののことを言うんじゃないだろうか。社会生活や通常の対人関係のなかでは、あまりにノーガードでいるとボコボコにされてしまうこともあるかもしれないし、無防備であることはとても怖いことで、小心者のぼくには困難なことなのだけど、少なくとも作品に接する時だけは、出来うる限り無防備でありたい。
●家で一人で本を読むことと、読書会などで本を読むことは、「読む」ということの意味が微妙に違ってくるように思われる。学問や研究のためには読者会も必要なのだろうけど、作品として本を読むのならば、家で一人で読むしかないと思う。「合意の形成(あるいは討論)」の場で読むとき、作品にとって重要な何かがこぼれ落ちて失われる。あるいは、講評や合評会みたいな場ほど作品から遠いところはないのではないか。(論文を精査するみたいに)講評会で「先生」から頂いたアドヴァイスをもとに「作品をつくる(修正する?)」なんてあり得ないと思う。
●それは、「作品は対話を拒否する」ということではないと思う。作品にとって対話-邂逅があり得るとしたら、もっとふいに、予想もしなかった方向からやってくるものとして、あり得るのだと思う(必ずしも自分の発した一言に反応したわけではないかもしれない、あの人の、あの時の、あの何気ない視線が心に残る、というような。対話によって作品が「動く」としたら、先生のアドヴァイスなどによってではなく、そういうきっかけによってだろう。というか、その視線のようなものこそが、「作品によって伝えられ」「作品が伝える」ものでもあるのだが)。
●講評ではなく、レッスンならあり得るだろう。レッスンは、出来上がったものを評価するのではなく、つくられる流れのなかで、その流れそのものに介入する。それは、つくられるものの方向や行き先を導くのではなく、つくりつつある手つきみる。作品をつくるのはあくまでつくる人であり、その行き先はつくる人自身によって見つけ出されるしかない。先生は、そこには介入できない。先生のやることは、まずい手つきや行き詰まり、手詰まりを指摘し、それが「上手く流れる」ように促す。時には、生徒の作品に手を入れて、自分でやってみせることさえする。それは技術を教えるのではなく、「感じ」を伝えるためだ。行き詰まった時、流れが滞っている時、そういう状態であることに敏感に気づくための「感じ」、そして、そこから軌道修正して、行き詰まりから逃れるための「動き」をどのような試行錯誤によって見つけ出せばよいのかという「感じ」。実際に、行き詰まっている事態を打開するような「動き」をみつけ、それを「動く」ことは、作品をつくっているその人自身にしか出来ない。先生のすることは、流れを疎外しているものの在処を、生徒に気づかせるような何かしらの刺激を与えるということだ。実際に、ぼくはそのようにして絵を教わった。
デュシャンレディメイドは、一般的には、既にあるものとしての工業製品を(手を加えずに)そのまま美術館に持ち込むことで、美術史や、美術館という制度(文脈)に亀裂をいれた、ということになっているけど、ぼくにはそんなの「嘘」としか思えない。もともとデュシャンは他人にあまり興味のない人のはずで、「制度」になど関心がないと思う。デュシャンが「文脈」ということを意識したとしたら、それは決して美術史という文脈などではなく、普通に生きている時の、日常的な道具的関連の世界の文脈の方で、そのなかで、あたりまえの便器を逆さまにしてみたら、いきなり、それがまったく別の質感をもった「何か」に見えてきた、ということだったはずだ(それは、便器であり排泄に関わるものでありながら、その逆立ちによって意味の濃さを失って、冷淡な陶器の質をもった何ものかになり、しかしそれが便器であったことの気配はなお、僅かに留まってはいる、という状態だろう)。その「何か」が立ち上がる(それを発見する)という出来事は、美術だとか、美術館だとかいうフレームが成立する(問題になる)より「前に」起きている。その「何か」を「見えるようにする」ために必要な制度-場-フレームが、たまたま美術-美術館であったということのはずなのだ(たまたまでも「美術」である以上、美術という文脈に絡み取られるのは必至なのだが、重要なことは「そこ」にはなく、まさに、重要ではない「そこ」に絡み取られないためにこそ、無防備さが必要なのだ)。
デュシャンが示そうとしたのは(スキャンダラスな効果では決してなく)、それを「発見した」時に、ふっと動いた何かの方であるはずだ。それに、デュシャンが選択したレディメイドのものたちには、ある共通した質感(趣味)があり(あるエロティックな冷淡さ、素っ気なさ、そして、丸みと出っ張り-刺のあるフォルム等の質感、剣呑な拒絶を示すような出っ張り-刺は、冷淡な丸みによってやわらかに回収されるが、全体はあくまで感情の発動-発熱を拒否する冷たいものでありつづける、など)、それは、レディメイド以外でデュシャンが制作した数々のオブジェにも共通して感じられる感触だろう。つまりそれは「美術史」にとってではなく、デュシャンという固有の身体にとって、他のものではなく「それ」でなければならない必然性をもつものだった。「そこ」を感じないで、美術史に対する効果という公式的見解のみを問題にしようとする時、作品に触れる時に最も必要だと思われる無防備さが捨てられてしまっていると思う(勿論、デュシャンによって美術の「何か」が更新されたことは間違いないのだが、それは美術史上の文脈操作などによってなされたのではないはず)。
●午前中、川原を散歩していたら、日陰になっているところに霜柱が立っていた。おおーっと思ってすぐに踏んづけた。