●昨日のこと。本当にお金がないので大型のリアル書店にはなるべく近づかないようにしていた(必ずたくさん本を買ってしまうので)のだが、三月いっぱいでジュンク堂の新宿店が終わってしまうので、新宿のツタヤにDVDを返しに行った時に禁則を破って行ってみたら、案の定、持って行った額のほぼ全て使ってしまった。書棚の間をうろうろし、何度もイベントを見に来たカフェでコーヒーを飲んだ。一昨日の日記に書いた、ヴィヴェイロス=デ=カストロの論文の載った「現代思想」も買った。
●今日の事。確定申告をすませて八王子税務署を出て、駅の南口あたりをうろうろ歩いていたら、「あゆみbooks」とその二階にある「シャノアール」(喫茶店)がすっぽり消えてなくなっていて、愕然とした。建物全体が空っぽで、辺りでそこだけ廃墟のようになっていて、本当に「いきなり消えた」という感じだった。「あゆみbooks」は小さいけどすごくいい本屋だったのに。そして、そこで本を買うと、二階に上がってしばらく本を読んだ。窓際の席から見える景色もとても気に入っていたのに。当然あるものだと思っていたものが、とつぜん消えてしまった。
●近所にあって、書庫のような存在だったツタヤも、三月いっぱいでなくなってしまう。
●八王子の別の本屋にレヴィ=ストロースの「神話論理」五冊がどーんと並んでいるのを見た。なんかめくるめく感じですごそうでとても惹かれるのだけど、これを読むことのできる時間が、ぼくが生きているうちに訪れるのだろうか。最初からちゃんと読もうとしないで、三巻あたりからつまみ食いする感じでいけば端っこを掠るくらいは出来るかな。
●ブリコラージュ(器用仕事)という言葉は一時とても流行って、いろいろな人が言っていたからなんとなく分かっているような気になっていたけど、あらためて考えるととても重要な概念だと思う。とりわけ、《材料の集合とでき上がりとは同じもので、ただ内部の配列だけが異なる》こと、そして《同じ材料を使って行なう》とりとめのない再構成の作業で、《前には目的であったものが、つねにつぎには手段の役にまわされ》、《所記が能記に、能記が所記にかわる》ということ。
さらに、ここで対比されている、ブリコルール(器用人)とエンジニアにおける「異なる問題解決過程」は、「思考法」に違いがあるわけではなく(どちらも「類推と比較を重ねて作業をする」ので、どちらも「科学」でありえる)、思考の対象に対する態度の違い(思考の対象物への存在論の違い)なのだと考えると、現代の人類学とも直接つながるのだなあと思った。そしてこの両者は、我々のなかにも普通に重なって作動している。