中沢新一は何を云っているのか。第五弾「愛と経済のロゴス」のustream録画。
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中沢新一読書会のために目白の日本女子大まで行く途中、地元の駅ビルの本屋で「群像」を買う。「文学界」には磯崎さんの連作の三作目が載っているはずだけど、その本屋にはなかった。
東海道線のなかで読んだ折口子尚「永劫回帰の部屋」(「群像」7月号)は衝撃的に面白かった。小説はこんな風にも書けるのか、こんな書き方があったのか、という驚きがあり、それと同時に、これがこのように書かれる必然性やこれをこのように書きたかったという感じがすごく腑に落ちる、という共感がある。例えばこんな文が書かれている。
《ある日ふと、私は病床のニーチェをからかいに行くのだ。旧知の仲だし、同情よりはむしろ悪意が奴の見舞いに相応しかった。
なにしろ進行性梅毒で脳が固まっているというから、これは是非見物し記述し後世に曝し他山の石とすべきだなどと思うのはとてもいけない。応接間に入ると、ニーチェの妹エリザーベトらしき女性がいた。
らしき、と断るのは勿論彼女がニーチェの仮面を被っていたからだが、実体への面会を邪魔するに違いなく、無視して通り過ぎようとしたら「あなたは何しにこの部屋に来たのですか?」と呼びとめられ礼儀は重要です。》
《何かが大量に落ちる音に驚いたらエリザーベトの嘲笑で、白い粒が口元からこぼれ床を埋めた。粒に描いてある顔は「あの女」ルー・サロメで、ニーチェを演じ私を笑うエリザーベトが吐き続けるので大変不愉快であった。この女は、私とニーチェが、わずかな期間三人で暮らした女性であるルーに嫉妬していた。》
《ふと、ニーチェの視線の先にある鳥が、私にも見える気がして追うと、恐らくその卵を野良犬が温めていて、茫洋と漂う飢えた僕たち私たちが熱視線を送り愉快であるのに気づいたのだった。》