●「科学」というのは、宇宙に対する宇宙自身による自己言及だと言うことが出来る。だとすれば、「芸術」というのは、宇宙にとってどのような意味をもつと言えるのか。人間にとっての芸術の意味ではなく(芸術は人間にとってだけ意味があると考えるのではなく)、宇宙にとっての意味(この宇宙のなかに芸術が出現したこと、現にあることの必然性)を考えてみたい、ということを昨日の打ち上げの時に西川アサキさんが言っていた。
これは途方もなく、かつ、とりとめのない話のようにも思える。しかし、少なくとも「実作者」としてやっていくには、人間にとっての芸術を考えるよりも、宇宙にとっての芸術を考えた方が、健康でいられ、間違い(隘路)に陥りにくい感じはする。そうしないとすぐに、芸術の話が、文脈とか社会とか立ち位置とか人間関係という話に矮小化されてしまう。
●折口子尚「永劫回帰の部屋」(「群像」7月号)について。
●出だしはちょっと円城塔風。神であるかのような「私」が語り始める。《私でないのを創るため、ある方向の肉をねじり時間に変え、私が私に触れる一点が、右に進む場合は私が私であることを忘れていき、逆ならば私が私であることを思い出していくようにした。》
●しかし「2」からは大きく調子を変える。「私」はある日ふと思いたってニーチェを見舞う。
《なにしろ進行性梅毒で脳が固まっているというから、これは是非見物し記述し後生に曝し他山の石とすべきだなどと思うのはとてもいけない。》
ここには、(1)ニーチェが梅毒であるという事実の提示があり、次に(2)それを見物し記録を後生に曝すべきという意見があり得ることが述べられ、しかし(3)それが否定される。これ自体は何ということもない。しかし通常であれば、「…他山の石とすべきだなどと思うかもしれないが、やはりそれはいけないのではないか」という風に、「意見」は他人のもの、あるいは私もそう思ったかもしれないが最終的な判断は別であり、それが(3)の態度とは距離があることが、途中でいったんクッションを挟むことによって示されるだろう。だがここで(2)と(3)との接続が性急で予想外、にもかかわらず一息につながっていることによって、急カーブを曲がった「私1」から「私2」がこぼれ落ちてしまうような分離の危うい感触が生まれる。しかも、「いけない」と言いつつ実際には見舞いに行っているという点でも分裂している。
この感じは次のように大きくなってゆく。ニーチェとの面会を妹エリザーベトに制限された「私」の内言。
《そもそも脳がやられている人間がそんなに忙しいわけはないのだ。失礼ではないか仮にも古い友人であり、私などにそこまで言われる筋合いもないので、私は扉とその前にある空間に対して語りかけることにした。》
二つ目の文の前半は制限に抗議して怒っている調子だが、後半にはいきなり「私などにそこまで言われる筋合いもない」と納得してしまう。その中間のプロセスが、つまり「…、とは言うものの、冷静に考えてみれば」というような文言がすっぱり抜けている。この「抜け」はたんに「私」の人格的なレベルでの異常な気の変わりやすさを表すというより、共働している「私1」に対する「私2」の唐突な侵入、またはモードチェンジであるように感じられる。これは「複数の人格」があるということとはまったく違う。「人格」が変わったというのならば「内容(図)」として描けるが、ここでは人格でさえない、人格が書き込まれるべき「地(基底)」としての「私」の切り替わりのようなものなので、このような「形式」としてしか表現できない。
さらに、
《「申し訳ございません。もちろん私も既に承知ですが、どうしてもお兄様にお話したい用件がございまして」
エリザーベトに、心からの嘘をつき、しまった「お話したいこと」を作話せねば、私は純粋にニーチェ見物へ来たのに、何をしてくれるこの私は別にかまわないと思い、ニーチェの顔を被ったエリザーベトに笑みを向けた。我々は他人に伝えるべき言葉をもたぬ凡人であり、空気を喰らい生きる衣装にせねばならぬ。》
ベクトルの肌理がそろわずに多方向へ立ち上がりかけた動きがすぐに別方向のベクトルによってつぶされてしまうかのような、独自のざわざわしたテクスチャーの荒れがおもしろい。そしてここでも、「お話を作るはめになってしまったではないか」焦る「私」と「それでも別にかまわない」と思う私が、唐突なモードチェンジによって並立されている。
●そして、ニーチェと「私」との面会を阻む妹のエリザーベトはニーチェの仮面を被っているのだ。
《応接室に入ると、ニーチェの妹エリザーベトらしき女性がいた。
らしき、と断るのは勿論彼女がニーチェの仮面を被っていたからだが、実体への面会を邪魔するに違いなく、無視して通りすぎようとしたら「あなたは何をしにこの部屋に来たのですか?」と呼びとめられ礼儀は重要です。》
「勿論」という接続が変である。ニーチェを「本人」ではなく「実体」と表現するのは、ここでニーチェが「妹」との関係ではなく「仮面」との関係によって捉えられているからであろう。そして最後の唐突な「礼儀は重要です」は別モードの「私」の割り込みであろう。
そして「私」は《女性を借りたニーチェもしくはニーチェの姿を奪った女性》に向けて話しかける。その話のなかに「あの女」のことが出てくると、
《何かが大量に落ちる音に驚いたらエリザーベトの嘲笑で、白い粒が口元からこぼれ床を埋めた。粒に描いてある顔は「あの女」ルー・サロメで、ニーチェを演じ私を笑うエリザーベトが吐き続けるので大変不快だった。この女は、私とニーチェが、わずかな期間三人で暮らした女性であるルーに嫉妬していた。
踊りの輪に入れない妹が、兄の手を摑み旋回を止め輪はちぎれ踊り手は去った。しかし、ダンスの方は未だ三人を拘束し、このニーチェの仮面を被る妹にはそれが気に入らず、私はルーを忘れられず、ニーチェは人の世を失った。が、ルーは? 床から粒をひとつまみ、ルーの縮小された模造に語る。》
ここで、一人の女性は顔を隠しニーチェの仮面を被ったニーチェ代理人であり、もう一人の女性は無数の小さな粒に描き込まれた無数の小さな顔(模造)である(しかもそれは前者の女性の口のなかから出てきた排泄物である)。そして、「私」もまた、複数の「私未満」のものの共働、並立であり、分裂の気配と定位の危うさとともにある(ここで「私」とは実在したパウル・レーだと簡単に特定して済む話ではないだろう)。ここではただニーチェという名前だけが時空を仮止めし、仮の中枢として場を支えているかのようだ。しかし、そのニーチェ本人は扉の向こうに隠れていて、決して姿をみせない。
●「2」につづく「3」は、ルー・サロメが死につつある場面だ。しかしそれは、「2」の最後の次のような言葉によって招き寄せられる。
《礼をわきまえ仮面を脱がしたい私は、意識を指先のルーに集中し、するとエリザーベトは消え、だが自分は既に死に、たしかにニーチェへの憧れだけが土にならずに今もあるとも感じ、天井から差し込んだ光が埃の存在を明晰にしたのを契機に、一介の死者として死の床にあるルーを想像してみた。》
ここで、ルーが焦点化されて強くでてくるとエリザーベトが消えることからも、この二人の女性の固有性の低さ(二人は裏表である)がみえてくる。さらにここで、自らを死者と意識した「私」はすこし安定するのだが、この安定は死の自覚によるというよりも、差した光で浮かび上がった埃の像(粒の上のルーの顔たちよりもさらに細かく多数である点の明滅)によるのではないだろうか。
●「3」で、ルー・サロメは死につつある。ここでは語り手の「私」は《見知らぬ肥満者》となり、《贅肉で瞼が垂れ、顔が消えデスマスクになっている》という風に「外側」から形を与えられることで(顔がないとは言え)「2」より安定している。この外からの形はおそらく、「私」が思い描くルー、にとっての「私」、という風に「あなたにとってのあなた」という過程によって得られている。
《そう、彼女はあらゆる男を捨ててきたし後悔はないが、あんな二人に看取られるのは無念だから、こうしてニーチェと同じく部屋に閉じこもっている。最終的には人は個室へ籠もる。トイレと同じだ。個室にいる人は死の瞬間を引き延ばす。天国の便器でいつまでも続く排便。存在の腹に、便はいつまで伸びるのですかと彼女は尋ね、価値の話にこだわる私の声が問いを遮断する。》
ルーの男性遍歴が語られ、彼女の存在が男たちにとって「た」と「ている」という二枚のカードの交代として現れていたことが書かれる。これは「時間」のイメージであろう。
《すべての男達が絶望でぷるぷるしていて、自分がルーとつきあっ「ている」のか「た」なのか論争していたが、霧雨は、彼らが崇拝した希望、絶望へ感染し無になったルーを呆然と見上げる視線を遮る。(…)
「た」カードと「ている」カードが、雨雲を見上げる男達を巡回し、顔の潰れた私は無視して立ち上がり、彼女に話しかけようとするだろう。》
顔の潰れた「私」はもはや、かつて「た」と「ている」の流れのなかの男たちの一人であったバウル・レーではなくなっているのだろう。その「私」が彼女に語るのは「創造」についての話だ。この世界に既に「車輪」が存在し、広く普及していたとして、山に籠もって車輪の存在を知らない者が、自力で、改めて車輪を発明したとすれば、それは「創造」と言えるのか、と。この話はこの小説でこの後も持続し、展開してゆく。話すうちにいつの間にか、消えたはずのエリザーベトが背後に再びあらわれ、「私」の問いを否定する。
次の「4」の場面では、「新人研修」として、《あらゆる年齢の私が、僕たち私たちとして束にされ、加工を待って》いる、という場面になり、「私」はよりいっそう、特定の誰かから離れてゆくようだ。
(つづく)
●今日の机の上。