●まったく知らない小説家のある小説のあらすじをたまたまあるブログで読んで、その話とそっくりな話(正確には、そのあらすじにある一場面のより詳細なイメージ)を過去にどこかで観た(おそらく映像作品で観たのではないかという感覚だ)という気がして、それが何だったかどうしても思い出せなくて、気になって仕方がなくなった。その小説がドラマ化あるいはアニメ化されているのかもと思って、タイトルと作家名で検索しても、小説の感想をつづるブログは出てきても、映像化されたという話はまったくない。もしかしたらその小説を読んだことがあって、そのことを忘れてしまっているのかとも思い、感想が書かれたブログにある書影をよく見てみても、装丁に見覚えはない。とても特徴的で魅力的なエピソードなので、そっくりなエピソードが他の作品にもたまたまあった(たまたまかぶった)ということはあまり考えにくい。そのエピソードがとても魅力的であるだけに、以前に観たという感触が気のせいだとはどうしても思えず、気になって仕方がない(それは、記憶−過去の改変に関するタイムリーブ物のエピソードなのだ)。たんに一エピソードというだけでなく、話の展開にもぼんやりした憶えがあるのだった。
ただ、その小説家が参照した元ネタがどこかにあって、ぼくはその元ネタの方を観たか読んだかしたことがあるのだとしたら、たんに元ネタでは済まないような、パクりといわれても仕方がないくらいの類似だということになってしまう。でも、ノベルズ系の小説としてはそれなりに知られた小説で、読者も多くいるみたいなので、それでそういう指摘がないということは、そういうことではないのだろう。だとすれば、誰かにその小説の話を聞いて、それが記憶のなかで変換されて映像化してしまったというとも考えられる。でも、記憶の感触としては、そんな感じではない。
こうやって書いているうちにだんだん、その映像作品の場面のフレーミングやカット割りまで思い出してくるような気がしている(記憶のなかのそれは、どうやら実写の、日本のテレビドラマだったような気になってきている)。だんだん、本当に観たとしか思えなくなってきた。簡単なあらすじに過ぎないものからこんなにイメージが膨らむというのはどういうことなのか。この記憶は何なのか。作品やフィクションのエピソードにかんするデジャヴというものがあるのか。もう少しで主演女優の顔さえ浮かんできそうな気配なのだが、しばらく集中してみてもそこまでは詳細なイメージにはならない。すごくもやもやする。