●ビオイ=カサーレスの短編集が出たみたいだ。
http://www.kokusho.co.jp/np/isbn/9784336048417/
収録作をみてみると読んだことのある作品が二つあって、「パウリーナの思い出に」は『ダブル/ダブル』というアンソロジーで、「大空の陰謀」は『ラテンアメリカ怪談集』というアンソロジーで読んでいる。「パウリーナの思い出に」はすばらしく面白いけど、「大空の陰謀」は正直微妙という感想だった。それは例えば長編でも、『モレルの発明』や『脱獄計画』はすばらしく面白いけど、『日向で眠れ』は正直微妙、というのと対応している感じもする(『豚の戦記』は読んでいない、いや、もしかすると読んだかもしれないけど、ほぼ忘れている)。
ビオイ=カサーレスは、ぼくが今まで読んだ限りだと日本の新本格と近い感触があって(「モレル…」も「脱獄…」も孤島モノだし)、純粋に頭の中(幻想の中)で構築される小説世界で、その「純粋に頭の中の世界」を構築する(成立させる)ためにトリッキーな記述が必要となると思うのだけど、そのトリックが見え見えになってしまうと、細部の浅さの方が見えてしまう感じがする。ボルヘスのように背後に「教養」の厚みを感じさせる感じはないし、ルーセルのように細部の機械的増殖のような感じもない。でも、この薄さこそがビオイ=カサーレス独自のリアリティと関係がある気がする。だから、トリックの問題というより、世界の基底の不安定さが維持できなくなってある図式に頼ったときに、薄さ(スカスカな感じ)が前面に出てしまうということなのか。頭の中だけで構築される世界というよりも、世界の基底の不安定性によって「頭の中に閉じ込められる」感じのリアルさがビオイ=カサーレスなのだ、と言う方がいいのかもしれない。世界の薄さによって内と外との区別がつかなくなり、それによってすべてが内になってしまうというような。