●締切間際の用事が大詰めで少し煮詰まった感じになって、休息を入れた。こういう時は普段しないことをして頭を切り替えたらどうかと思い、まだ引っ越して一年くらいなので本の山の中に紛れていなかった高校の卒業アルバムがなんとなく目についたので、取り出して、ノスタルジックな気分はほぼゼロの状態でページを開いた。そんなものを開くのは何時以来なのか分からないくらい久しぶりなのだけど、そこに写っている自分を見て、「あれっ」と思うほど自分という感じがしなかった。自分に似た誰かと間違っているのではないかと名前を確認してしまったくらいに。ちゃんと自分の名前がそこにはあるのだけど、何かの手違いではないかと思うくらい自分感がない。近くに写っている同級生とか教師とかは同級生や教師に見えるし、そういえばこんな奴もいたなあとか思い出しもするのだけど、自分は知らない誰かみたいな感じがする。別に強い否定の感じがあるのではなく、まあ、自分なのだろうと頭では納得はするのだけど、なにかとてもよそよそしい感じなのだ。なので、中学の卒業のアルバムも出してきて開いてみた。こちらは特によそよそしい感じはなく、普通に「あ、自分」と思った。
●その話とはあまり関係がないと思うのだけど、引っ越してから深夜アニメ以外のテレビをほとんど観なくなってしまったのだが、昨日か一昨日か、たまたまつけたテレビで(「クローズアップ現代」だったと思う)、コンピュータによる顔認証技術がすごい勢いで発達しているという話をやっていた。ちゃんと観ていないで、別のことをしながらちらちら耳だけで聞いていたのでいい加減な理解だけど、確か98%くらいの確率で個人(同一性)を特定できると言っていた。しかも、年齢が違ってもその確実性はほとんど減少しないという。例えば、十年、二十年前の写真を入力して、現在の顔と照合しても正確に判定できるらしい。髭や帽子、マスクなどがあっても柔軟に対応可能だとも。
顔認証のアルゴリズムは、膨大な数の顔のデータを解析することによって、個人の顔の特徴が「どこ」に出るのかを抽出したことによって可能になったという話だったと思う。それはつまり、人間の感覚(人が人の顔を見分けるやり方)を模倣し、その方向で精度を上げたものではないということだ(人が「人の顔を見る」のとは全く別のやり方で見ている)。指紋や虹彩の情報を処理するのと同じように、顔の情報を処理する。これはおそらく、非常に合理的な情報の処理なのだろう。実際、「人」が判断するよりずっと高い精度で同一性を判断する。
人間の感覚は、生物の進化の過程で、長い時間のなかでその都度の突然変異と淘汰の繰り返しで少しずつ(ツギハギ的に)つくりあげられたものだろうから、必ずしも合理的なものではないだろう。人間以外の生物の感覚も、人間とは違うとはいえ、もともと同じ原初の生物から地球と言う環境の上で進化したのだから、うんと大きくみれば同じもののバリエーションとも言える。だとすれば、コンピュータによる情報処理は、地球上の生物がはじめて出会う(地球上の「自然史」とは無関係な)「他者の感覚」と言えるのかもしれない、と思った。顔認証システムが「人の顔を見る」とき、地球上のどんな生物がそれを「見る」のとも違ったやり方で見ている。人間は、コンピュータのアルゴリズムと自分の感覚との違いによって、はじめて「自分の感覚の組成」の特異性、相対性を知る(自分自身を外から見る)、とも言えるのではないか。