●何日か前、BSで『2001年宇宙の旅』をやっていた。68年に製作された45年前の映画。
この映画は基本的に「こんなにすごい絵がつくれるんだぞ」というとを見せる(しかも、科学考証として正しい絵として、それを見せる)映画なので、絵をたっぷり見せるために進行がゆったりしていて、描かれていることは案外あっさりしている。いくつかの断片的なビジョンがわりとあっさり並べられている感じ。
1.猿人がモノリスに触れて道具(武器)を使うようになった。2,月面から400万年前の人工物(モノリス)が発見された(宇宙開発のビジョンと無重力描写をたっぷり見せる)。3,木星へ向かう宇宙船で人工知能がおかしくなった。4.木星不思議ワールド。このなかで、物語的な要素があるのは3の人工知能がおかしくなるエピソードくらいだけど、これもまたけっこうあっさり語られている。
画面的には、そんなに古くなった感じがしないのはやはりさすがで、すごいと思ったし、公開当時はみんなさぞ驚いたのだろうと思った。だがそれは、45年前も今も、「未来」というイメージがそれほど大きく変化していないということでもあるだろう。宇宙船や宇宙ステーション、宇宙服のデザインなどは、基本形としては最近の作品にみられるものもそんなに変化はない。ただ、コンピュータ関連のものの扱いやデザインは、やはり古い感じになっている。ということは、45年前の想像力を乗り越えてしまう程に技術が進歩したものがコンピュータくらいしかないということでもある。
コンピュータといえば、3つめのエピソードも今からみると古くなってしまった感じがある。ここで人工知能の「人格」が、自己中心的で、感情に乏しいくせにキレやすい人みたいに造形されている。コンピュータ的人格=頭はいいけど冷たくて(感情的に問題があって)幼稚な人みたいな紋切り型がわりと安易に採用されている。これは「頭のいい人」に対する紋切り型イメージでもあるけど、おそらく、人工知能というものが人間とは異質である感じを不気味さとして出すために、理解不能サイコキラーのようなイメージを当てはめているのだろうと思った。
だけど、考えてみれば、非常に高度な知能をもつAIが、あんなに幼稚な感情で動くことは考えにくいのではないか。いや、たとえ感情は幼稚だったとしても、人間を陥れる時のやり方があまりに間抜けで(というか衝動的で)、頭のよいコンピュータならもっと周到なやり方で人間を排除できるのではないかと思ってしまった。いくらなんでも、あんなにあっさり人間に逆転されてしまったりはしないだろうとも思った。
(HALの喋り方は、『銀河ヒッチハイクガイド』に出てくる鬱病のロボットを思い出させるけど、このロボットの極度にひねくれた性格の方がAIの人格としてはリアルな感じがする。)