●ぼくは植物が好きだが、木よりも草に惹かれる。あるいは、木であっても、幹や枝よりも葉に惹かれる。
木は時間の堆積であり、ある安定性であり、固有性でもある。草は、すくに枯れるけど、またすぐに生えてくる。いつもそこに同じような草が生えている、あるいは毎年生えるとしても、それは、そこに同じ木が何十年も立っているということと同じではない。それは、同じような、あるいは同じ種類の草であって、同じ草とはいえない。しかし、「同じ草」と言ってしまってもほとんど問題がないくらいに同じではある。
草の時間は回帰するけど堆積しない。
何十年も育った木を切ることには強い抵抗が生じるけど、毎年そこに生えている草を刈ることにはほとんど抵抗がない。どうせまた来年も生えてくる。勿論、今刈ったこの草と来年生える草とは同じではないのだけど。
そのような意味で、草は、現実的な抽象性、あるいは、物でありつつも、ほぼ純粋に形式であるものと言える。
同じではないが、ほぼ同じと言えるもの(しかし、やはりその都度微妙に感じが違ったりするもの)が、繰り返し何度もあらわれてくる。草のこのような性質は、ぼくに「感覚」というもののありようを想起させる。