●「日経サイエンス」の特集「量子世界の弱値」を、興奮を抑えられない感じで読んだ。「日経サイエンス」の量子論の特集を読んでいると、中学生の頃に「ビックリハウス」や「宝島」を読んでいた時の興奮がよみがえるようだ。「宝島」で、糸井重里柄本明湯村輝彦のロングインタビューを興奮しながら読んだような感じで、「日経サイエンス」の物理学者のインタビューを読む。お前は、科学とサブカルを同一視して、科学の成果を無責任に消費しているだけだと言われれば否定は出来ないけど、でも、世界にはこんなに面白いものがあるのかという驚きと興奮という意味では、どちらもそんなに違わない。
量子テレポーテーション量子もつれの状態となった光子AとBがあるとする。Aはアリスの傍らに、Bはボブの傍らに置かれる。それとは別の光子Xがアリスの下にもたらされる。その光子XとAにおいて、ベル測定という測定を行う。ベル測定とは、二つの光子について、それぞれの偏光を測定することなく、偏光どうしの関係のみを見るという測定。ベル測定を行うと光子XとAは消える。
ベル測定によって得られる二つの光子の関係は四種類ある。どの結果が出るのかはランダムである(すべて等しく1/4の確率で出る)。そのうち一つは「光子Xと光子Aの偏光は常に同じ」という関係。この結果が出た時には自動的に、光子Xと、ボブの傍らにある光子Bの偏光は同じ、ということになり、つまりアリスからボブへと光子Xが移動したことになり、量子テレポーテーションは成立する。
量子テレポーテーションというのは、あたかも何もない空間を物理量が飛んでいくように見えるが、そうではない。テレポートする側とされる側の光子は、同じ場所で同時に発生したと言う過去によってつながっており(量子もつれ)アリスの光子が取り込んだ送り側の物理量が、その過去を経由してボブの光子に伝送されるタイムマシン的なプロセスである。これを利用すれば、かつて持っていたが今はなくなってしまった装置を使って、光子を操作することが可能となる。≫




●弱値(弱測定)。
量子力学における測定というのは外から眺めることではなく、あらゆる値を取る可能性がある物理量から、ある一つの値だけを取りだして確定するという行為だということを思い出していただきたい。個々の光子は発生した時には白色偏光だが、偏光を測定したら、特定の偏光に確定してしまう。それでは次に行う量子テレポーテーションに差し支える。
そこで光子A、Bの白色偏光を壊さない、できるだけ弱い測定で偏光を測る。そのために分析器に細工をし、エラーをうんと大きくする。光子が横偏光の時、常に1と表示するのではなく、51%の確率で1、49パーセントの確率で0と表示するようにするのだ。こんなくじ引きのような分析器では、個々の光子の偏光を測っても、ほとんど何もわからない。したがって測定値も確定せず、白色偏光は保たれる。このように、測定しても測定前の状態がほぼ保たれるような測定を「弱測定」と呼ぶ。≫
≪一回の測定では何もわからなくても、同じ条件で例えば1000回実験を繰り返し、51%の確率で1が出てきたら、その光子は横偏光だったことになる。≫
●光子は未来を知っている、のか。
量子テレポーテーションの実験を、ベル測定を行うより前に量子もつれ状態にある光子A、Bのそれぞれを弱測定をした上で、横偏光の光子Xについて4000回行うとする。そのうち1000回はベル測定で「光子Xと光子Aの偏光は常に同じ」と出るはずで、その時はそのままで量子テレポーテーションは成立している。
実験が終わった後で、4000回の実験すべてから弱測定の値を求めると、光子A、Bのどちらについても1(横偏光)である確率は50%になる。
(白色偏光はあらゆる偏光になる可能性を等しくもつので、常に1と0とが正確に50%ずつ出る。)
しかし、ベル測定で「光子Xと光子Aの偏光は常に同じ」であった1000回だけに限って弱測定の値をみてみると、光子A、Bのどちらについても1である確率が51%になる(はずである)。
≪これは驚くべきことだ。弱測定をした時点では、どの光子がベル測定で「Xの偏光=Aの偏光」という結果になるのかはわからなかったはずだ。にもかかわらずこれらの光子は、まるで自分が将来測定された時に「Xの偏光=Aの偏光」との結果が出る事を知っていたかのように、最初から51%の確率で1を出していたのである。≫
●つまり、光子があらかじめ未来を知っているかのように振る舞っていたことが、結果から振り返ることで、遡行的に明らかになる、と。
(以上、≪≫内は「量子テレポーテーションと時間の矢」井元信之からの引用)
●弱値、弱測定を考えたY.アハラノフによる見解。
≪未来はそのように現在に影響を与えるのだ。すなわち個々の粒子は、未来において自身にどのような測定がなされるかをすでに知っている。粒子が到達する終状態が、未来から現在に遡って、何が起こるかを変化させる。その意味において、未来は今ここに存在する。
従って、時間も新たなやり方で理解する必要がある。これまで我々は、時間というものは過去から現在へ、現在から未来へと一方向に流れると考えてきた。だが量子力学によれば、自然には両方向の流れが存在する。≫
≪私はいつでも気が変わって別の測定をすることができるし、それによって異なる結果を見ることができる。だが個々の粒子は、私の気持ちが変わることを知っていて、それによって自身の状態を変えている。ただしその値を私が見るのは、未来において私がある特定の測定をした時だけだ。
私が言いたいことは、次の2つだ。第一に、個々の粒子は自身がどのように測定されるかを知っている。第二に、私はどんな測定をするのかを決める自由意思をもっている。何故この2つが両立するのかといえば、測定に不確定性があるからだ。(…)これこそが、神がサイコロを振る理由なのだと思う。≫
●あと、弱測定は、「普通の測定」であり、すべての巨視的な測定は弱測定だと言っているのも面白い。
≪例えば私がこのテーブルを見るとき、個々の光子がテーブルに飛んでいき、そこにある多数の原子と弱く相互作用し、そこから私の目にやってきて、原子集団が持つ平均的な性質についての情報を届けている。テーブルの原子集団の量子状態は壊れない。≫
●そして、
≪そう考えると、我々が見ているものはすべて、宇宙の最終状態によって選ばれた宇宙の弱値なのかもしれない。≫
●そういえば、これって『Self−Reference ENGIN』みたいな話でもあるなあと思った。
≪量子系の状態は、「波動関数」と呼ばれる数式で記述される。量子系のある物理量を測定した時に、どの値がどんな確率で出てくるか、その分布の時間的な変化を表わすものだ。私は時間対称的な2つの境界条件、始状態と終状態を考え、量子系の現在の状態を2つの波動関数で記述できるようにした。1つは過去から現在への変化を示す波動関数、もう1つは未来から現在への変化を示す波動関数だ。それが始まりだった。≫